いまもはっきり聞こえるシニアの声――フミ斎藤のプロレス読本#080【テリー・ファンク編エピソード5】
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
199X年
テリー・ファンクは、プロレスラーがあこがれるプロレスラーの代表である。もうフルタイムのツアー活動はしていないし、強いか弱いかのフォルターだけを通してみれば、やっぱりいまが盛りのタフガイたちにはかなわない。
でも、いくらよれよれになっても、テリーは“ワン・オブ・ア・カインドOne of a kind(唯一無二の、比類なき存在)”でありつづける。
たいていのアメリカ人レスラーは、テリー・ファンクの形態模写、声帯模写のレパートリーをひとつかふたつ持っている。
プロレスが好きな人だったら――日本のプロレスファンの場合――だれだってジャイアント馬場とアントニオ猪木のモノマネができるように、アメリカのある世代のプロレスラーにとって、テリーの声色(こわいろ)は隠し芸の定番である。テリー・ゴーディは、偉大なるテキサンのしゃべり方を完全コピーしていた。
いっぽう、本物のテリーのボキャブラリーは、分別ざかりの50代になってもちっとも上品にならない。“ファック”と“ファッキン”は、センテンスのどこに挿入しても文法的にはだいたい正しいらしい。
“ファック”は動詞と名詞のどちらにも使えて、“ファッキン”はすぐあとに名詞をひとつ持ってきて形容詞として用いる。意味を強めたいとき、語気を強めるときはファックが“マザー・マック”になり、これと同様に形容詞の用法ではファキンが“マザー・ファッキン”になる。
語尾にerをつければ“ファッカー”“マザー・ファッカー”としても活用できる。いずれも日本語には訳しにくい単語、熟語のたぐいである。
テリーがいつでもこういう罵詈雑言を並べながら口角泡を飛ばしているのかといえば、もちろんそういうわけではない。いくら汚い単語を使っても語り口はいたっておだやかだし、話しているときは目のよこにやさしい笑いジワができる。
プロレスラーの言語、テキサンの方言でおしゃべりをするのは、ちょうど江戸っ子がべらんめえ口調でああでもない、こうでもないとまくしたてるのとまったく同じと考えればいい。
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