何をもって勝ちなのかよくわからない。あまりに奥深すぎる空手競技を楽しむためのコツ
「これは東京五輪以外では受け入れられないだろうな……」
もちろん上位選手の「形」はビシッと決まった動作で美しいのですが、全員ビシッとしているので、誰がより優れているのか、どこが優れているのか、勝敗の差をつけているポイントは最後までわからずじまいでした。アクロバットな動きがあればいいというものでもなく、足が高く上がればいいわけでもない。審判員と愛好家は「立ち方が微妙に違う」とか「気合が全然違う」とかフワーッとわかっているのかもしれませんが、それを空手界以外に説明するものは何もないのです。
そのため、大会を見終えてももうひとつ納得感はありません。男女とも形競技は連覇中の王者が制し、すべての試合で常に圧倒的な評価を得ていたのですが、素人目線としてはどこがそんなに圧倒的に優れているのか理解できませんでした。会場でのアナウンスもなく、公式パンフレットにも解説はないのですから当然のことですが。
空手界特有のルールに世界は納得するのか?
五輪の舞台で世界にコレがお披露目され、開催国かつ発祥国である日本が金メダルを独占したとき、きっと「は?」と言われるだろうと思います。
そして
「どこが優れているのか誰にでもわかるように明文化せよ」
と迫られるのだろうと。
「空中で一回転した跳び蹴りには高得点を与えるべき!」
とか
「突きや蹴りの早さをセンサーで測定すべき!」
とか
「オリジナルの攻撃技を生み出したら高得点を与えるべき!」
とか、従来の空手界にはない動きも生まれるかもしれません。
会場では盛んに東京五輪以降も五輪の舞台に残りたいというアピール活動をしていましたが、現状のままでは難しいのではないでしょうか。仮に残ることができたとしても、国際化という名の外圧のもと、「空手に詳しくない低レベルの国際審判員によって日本選手の勝利が奪われる疑惑の判定」とか、そういう事件は避けられないだろうと思います。
初めて観た人にでも、何がどうなると勝ちなのかを伝える努力。プレイする選手自身にも、それを裁く審判員にも何が差となって勝ち負けするのかわかる明白な基準。それが空手の形競技には圧倒的に足りていないと感じる物見遊山でした。ある意味で、五輪の舞台に乗ったことで、伝統のフワーッとした感覚が壊され、空手界が不幸になるかもしれないと思うほどに。
東京五輪で観戦できるかどうかで言えば、すでにこれだけの大観衆がいることからして、極めて難しいでしょう。チケット争奪戦を挑むにしても空手界隈のほうがパンチ力も強そうですし、勝ち目はありません。もし幸運にも観戦の機会を得られたら、勝ち・負けを楽しむのは組手競技のほうにして、形競技のほうは盆栽でも見るような気持ちで楽しむのがよいのかなと思います。
何がよくて、何が悪いのかはサッパリわからないけれど、どれも見事ですなぁ………というフワーッとした気持ちで。
東京五輪までにその辺が誰にでもわかるように明文化されることは、たぶんナイでしょうから。
フワーッと楽しみましょう! 押忍! 1
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