更新日:2022年12月10日 19:08
スポーツ

ボリス・マレンコ 名門“マレンコ道場”の先生――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第26話>

 このときの苦い経験のあと、マレンコは新人レスラーの発掘・育成へと傾倒していく。NWAフロリダの運営メンバーはグラハム、デューク・ケオムカ、ヒロ・マツダ、ゴードン・ソーリーGordon Solie、ダスティ・ローデス、グラハムの息子マイク・グラハムMike Grahamらで、地元フロリダでマレンコ派に協力したのはアメリカのレスリング・シーンではすでに孤立していたカール・ゴッチだけだった。  マレンコのふたりの息子たち、ジョーとディーンはゴッチのマンツーマン・コーチを受けたことでアメリカ人レスラーとしてはひじょうに特異なプロフィルの持ち主となった。  NWAフロリダはグラハムのピストル自殺(1985年1月21日=ガン告知を苦にした自殺とされる)により衰退の道をたどり、フロリダ・エリアは1980年代なかばからはNWAクロケット・プロ(のちのWCW)とWWEの2大メジャー団体の全米ツアーコースの一部へと姿を変えていく。  “マレンコ道場”は新人レスラーの育成をつづけ、1984年以降はマレンコ親子とゴッチのコーチを受けた“無印”のアメリカ人レスラーたちが日本の第1次UWF、第2次UWF、プロフェッショナル・レスリング藤原組のリングに登場するようになる。  マレンコが白血病のキモセラピー=化学療法のためタンパの病院に入院中、デューク・ケオムカ、ヒロ・マツダ、ゴードン・ソーリーら“かつての敵”がひとりずつマレンコを見舞いにやって来た。マレンコは彼らと無言の握手を交わしたという。ケオムカ、マツダ、ソーリーの3人もすでに故人。  マレンコはこの世を去る1カ月まえまでタンパの道場で新人レスラーたちの指導をつづけた。 ●PROFILE:ボリス・マレンコBoris Malenko 1933年6月28日(7月8日説もある)、ニュージャージー州アービントン出身。本名ローレンス・J・サイモン。愛称はファーストネームのラリー。両親はイスラエル系移民ともロシア移民ともいわれる。1950年、ニューヨークでデビュー。AWA世界タッグ王座(パートナーはボブ・ガイゲル)、NWAアメリカン・ヘビー級王座(テキサス)、NWAテキサス・ヘビー級王座、NWAフロリダ・ヘビー級王座、NWAサザン・ヘビー級王座(フロリダ)、NWAブラスナックル王座などを保持。現役時代は日本プロレス、全日本プロレス。新日本プロレスに来日。ふたりの息子、長男ジョーと次男ディーンも1980年代から1990年代にプロレスラーとして活躍(ディーンは現在、WWEエージェント)。1994年9月1日、白血病で死去。61歳だった。 ※文中敬称略 ※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦
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