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ダニー・ホッジ オクラホマの天才アスリート――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第23話>

ダニー・ホッジ オクラホマの天才アスリート<第23話>

連載コラム『フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100』第23話は「ダニー・ホッジ オクラホマの天才アスリート」の巻(イラストレーション=梶山Kazzy義博)

 “金メダル男”カート・アングルが出現する40年まえに存在したアングルよりももっとすごい経歴を持った天才オリンピック・アスリートである。

 ホッジが育ったオクラホマ州ペリーという人口6000人のスモールタウンは、アマチュア・レスリングのひじょうに盛んな町として知られている。

 ペリー・ハイスクール・レスリング部は過去、州選手権大会で団体優勝29回、124人の州チャンピオンを輩出した名門。ホッジもハイスクール時代、オクラホマ州選手権に優勝した。

 海軍リザーブ=予備兵時代、19歳でヘルシンキ・オリンピック(1952年)に出場し、フリースタイル174ポンド級で5位に入賞。

 海軍を除隊後の1954年にオクラホマ大に進学し、1956年にはメルボルン・オリンピックに出場。

 トーナメント決勝戦(フリースタイル=174ポンド級)ではブルガリアのニコラ・スタンチェフを8-1のスコアでリードしながら、審判のミス・ジャッジでピンフォールをコールされ不本意な形で銀メダルを手にした。

 オクラホマ大レスリング部時代の戦績は46戦全勝。NCAA選手権3回優勝。AAU全米選手権4回優勝。

 大学3年のシーズンには10日間のスパンでNCAA選手権とAAU全米選手権のフリースタイルとグレコローマンの2種目で優勝。アマチュア・レスリングで手にすることのできるタイトルというタイトルはすべて獲得した。

 大学を卒業後はカンザス州ウィチタの石油会社に就職したが、握力の強さを買われボクシングに転向。

 カンザス州のアマチュア・トーナメント、シカゴの全米トライアル大会を勝ち抜き、ニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデンで開催されたゴールデン・グラブ・トーナメントに優勝した。

 アマチュア・ボクシング時代の戦績は26戦26勝(26KO)。学生時代からリンゴを握りつぶしたり、プライヤー(ペンチ)を片手で曲げたりするのがホッジの“かくし芸”だった。

 ホッジ自身は「そういうつもりはなかった」と証言するが、そのままプロボクシングに転向し、10戦8勝2敗という数字を残したままわずか1年で引退。

 元オリンピックのアマチュア・レスリング代表選手がプロボクシングに転向したことで話題を集め、『スポーツ・イラストレーテッド』誌(1957年4月1日)の表紙にも登場した。

 ボクシングをあっさりやめた理由は、ファイトマネーの未払いとボクシング・ビジネスに対する不信感だった。

 地元オクラホマに帰ったホッジは、オクラホマ州タルサの“盲目のプロモーター”リロイ・マクガークとコンタクトを図り、27歳でプロレスラーとしてデビューする(1959年10月9日)。

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ファースト・ラブ=初恋はレスリング

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