名優・大杉漣の想い出ーー吉祥寺と高田渡を愛した人
太田省吾さんの主宰する劇団「転形劇場」で、セリフを一切排除した“沈黙劇”を約16年にわたって演じ続けた大杉さん。それは俳優でいうところの熱演とは対極にある世界だ。沈黙の演技を極めた大杉さんだからこそ、高田渡さんの「感想」の裏に隠された真意が痛いほどよくわかり、胸に重く響いたのだろう。いつかミュージシャンとして認められることを願った大杉さんだが、高田さんが2005年4月16日にツアー先の北海道で急逝(享年56)し、その夢が叶うことはなかった。
吉祥寺音楽祭での大杉さんのステージを偶然ボクは見ていた。今、改めて振り返ってみると、大杉さんは少年時代から憧れていた高田渡さんと同じステージに立てる興奮と、俳優の原点となる街・吉祥寺への溢れる愛を感じさせてくれる最高のステージだったような気がする。
大杉さんが亡くなった後、このときの想い出を佐野史郎さんは「大杉漣さんとの想い出」と題して、自身のブログ「橘井堂」にこう綴っている。
「漣さんも僕も音楽好きで、ライブに足を運んでくださったりもした。以前、吉祥寺音楽祭で『漣&史郎』としてデュオユニットを組み演奏したことも忘れられない。漣さんが高田渡さんや加川良さんが好きだったこともあり、『生活の柄』や『教訓1』をやったっけな…。僕んちにきて練習して、まるで高校生の頃のような2人でした」
高田渡さんを愛し、吉祥寺の街を愛した名優・大杉漣さんの想い出は、500本近くにわたる出演作品のなかで永遠に残り続けるのだろう。今年も、井の頭公園の桜は静かに咲き乱れていた――。
文/テレビ裏から愛を込めて(構成作家)
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ