ジミー・スヌーカ “スーパーフライ”は永遠の一瞬――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第62話>
ビンス・マクマホンの“1984体制”におけるスヌーカの最大のライバルはロディ・パイパーだった。
パイパーがトークコーナー“パイパーズ・ピット”でスヌーカの頭をココナッツの実でたたき割る有名なシーン――ひじょうに人種差別的な映像表現として物議をかもした――が、大物ロックシンガーのシンディ・ローパーのWWE登場、“レッスルマニア”第1回大会への予告編になっていた。
スヌーカとパイパーの因縁ドラマはその後、20年以上つづくロングランになった。
スヌーカは、トレードマークのヒョウ柄のショートタイツを身につけ、60代なかばまでのんびりとインディー・シーンで活動した。
筋肉ボディーがややたるんでしまっても、バックハンド・チョップがよれよれになっても、“スーパーフライ”は“スーパーフライ”でありつづけた。
●PROFILE:“スーパーフライ”ジミー・スヌーカ“Superfly”Jimmy Snuka
1943年5月18日、フィジー島生まれのハワイ育ち。本名ジェームズ・ライハー。1967年、ボディービルの“ミスター・ハワイ”からプロレス転向。ハワイ、オレゴン、AWA、ノースカロライナ、ジョージアをサーキット後、1982年にWWEと契約。日本ではブルーザー・ブロディとのコンビで全日本プロレスと新日本プロレスで活躍。1981年、『世界最強タッグ』優勝。ブロディが試合をボイコットし、そのまま新日本プロレスを離脱したときはブロディと行動をともにした。1996年、“ホール・オブ・フェーム”でWWE殿堂入り。2017年1月15日、入院中だったフロリダ州ポンパノビーチのホスピスで死去。末期ガンだった。享年73。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦
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