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セクハラ福田次官も“魔の57年入省組”。ノーパンしゃぶしゃぶ事件の中島氏が採用担当だった

財務省

「57年組から次官が出たら終わりだね」

   中島氏に「57年組」の採用を一任したのは、当時の大蔵大臣で、ミッチーこと故・渡辺美智雄氏である。  『週刊文春』1998年5月28日号によると、「ミッチーは初の試みが大好きで『部屋にこもっているような青白いエリートじゃなく、変わったのを採れ』と指示」して、中島氏に「九割以上の裁量」で採用を任せた、とある。愛された暴言王、ミッチーらしい指示だ。  また、同記事には「あの五十七年組から次官が出たら大蔵も終わりだね」という某省庁中堅のコメントを紹介している。  この予言通り、57年組から出た福田次官が、セクハラをやらかしてしまったわけだ。  豪快だけど危なっかしい中島氏が選んだだけあって、福田氏にもノーパンしゃぶしゃぶ的感性があるのかもしれない。一般の会社でも、“豪快で面白いオレ”をアピールしようと、ムダに下ネタを口走るオヤジがいるが、その類(たぐい)にも見える。  ちなみに、大蔵省を辞めた中島義雄氏は2009年からセーラー万年筆の社長を務めていたが、2015年にクーデターで電撃解任されている。 <57年入省組は呪われている?(敬称略)> ・福田淳一(事務次官)…セクハラ問題で辞任 ・佐川宣寿(前財務局長)…森友学園をめぐる文書改ざん問題で証人喚問され、今年3月9日に依願退官 ・迫田英典(元国税庁長官)…森友学園をめぐる動きの多くは、迫田氏が理財局長だった時代で、証人喚問を求める声も。2017年7月退官 ・榊原隆…銀行・証券会社から数百万円の接待を受け、1998年に逮捕、有罪判決を受ける。“過剰接待事件”でキャリア官僚としては唯一の逮捕者 ・佐藤誠一郎…同じく過剰接待で、1998年、自主退職に追い込まれる ・U課長補佐…1992年、33歳で飛び降り自殺 ※ほか1992年に1人が病死している。片山さつき参院議員も同期 <TEXT/日刊SPA!取材班>
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