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31歳でバンド結成。お笑いと音楽活動の両立に苦悩<マキタスポーツ芸人21年史 その2>

『マキタ学級』での活動で特筆すべきは「マキタ学級大文化祭」という都市型音楽フェスの発明だ。複数のライブハウスを会場にしたいわゆるサーキット型のフェスで、2006年から2009年まで、年に1度、4回開催された。その内容もただバンドの演奏だけではなく、お笑いライブやトークイベントなどを融合させ、当時にはまったくない新しいフェスの形を提示していた。現在の「やついフェス」の雛形になったのではないか?と水を向けると「それは分からないけど(笑)、工夫はしたと思う」とマキタは謙遜して語り出した。 「都合4回やったのか。規模が大きくなってだんだん赤字になった。経営感覚というかプロデューサーの感覚というものを持ち合わせていなくて、ただ自分たちがやりたいことを知ってもらいたいがために、そういうエネルギーだけでやってたからね。実際、『売名行為です』って堂々と言っていたしね。オフィス北野には2002年に所属していたんだけど、『事務所に自分がやることなんてわかるわけねえ』と思ってたから勝手にやってたね。めちゃくちゃだったね」  順調だった「マキタ学級大文化祭」が赤字になり、2009年、マキタは力を入れてきたバンド活動を一旦休止し、芸人として大きな転機を迎えることになる。(続く ※その3は明日更新予定) 取材・文/織田曜一郎(週刊SPA!)
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