オフィス北野を退所するマキタスポーツ、「芸人人生21年史」を語る
―[マキタスポーツ芸人人生21年史]―
ビートたけしの独立、森昌行社長とたけし軍団との対立(現在は沈静化していると発表されている)、社員の大量離脱などで揺れているオフィス北野。そのオフィス北野からマキタスポーツが退所すると発表、ラジオで「FA宣言」をしたのが4月23日のこと。
『東京ポッド許可局』で共演するプチ鹿島、サンキュータツオ、そしてタツオの相方・居島一平も同様に退所し、一旦は「フリーエージェント」として今後の芸能生活を続けていくという。理由は「かなり特殊な仕事の仕方をしている我々のマネジメントをしてくれる人がいなくなってしまったから」とのことだ。
「88年に上京して、98年にデビュー(後述)、2008年に『東京ポッド許可局』を勝手にネットで初めて、2018年にオフィス北野を退所。なぜか10年ごとに大きな節目がくるんですよね」と語るマキタスポーツ。折しも2014年に発売し、「ヒット曲にはカノン進行が多い」という事実を世に知らしめた単行本『すべてのJ-POPはパクリである』が文庫化したばかりということで、芸能人生20周年を記念したインタビューをお届けしようとしたのだが……。
「いや、てっきり1998年にデビューしたものだと思い込んでいたんですが、実は1997年デビューだったと発覚してしまったんですよね(笑)。今年の1月には『芸能生活20周年』を大々的に謳って記念ライブをやったんですが、そこに登壇してくれた水道橋博士が教えてくれたんですよね。『お前、1997年デビューだよ』って(笑)」
ということで、いきなり中途半端な数字になってしまったが、マキタスポーツの波乱万丈の芸人人生を振り返る「21年史」をひもといていこう。
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『すべてのJ-POPはパクリである 現代ポップス論考』 「ヒット曲にはカノン進行が多い」を世に知らしめた名著が文庫化! |
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