31歳でバンド結成。お笑いと音楽活動の両立に苦悩<マキタスポーツ芸人21年史 その2>
―[マキタスポーツ芸人人生21年史]―
このたび、オフィス北野を退所することになったマキタスポーツ。その彼の大きな仕事のひとつが音楽批評をお笑いネタ(オトネタ)にしたことである。その彼が2014年に発表し大きな話題を呼んだ『すべてのJ-POPはパクリである』が文庫化される。だが、そこに至る道筋はどんなものだったのか? マキタの芸人人生21年を振り返る特別企画の第2弾!
「97年ぐらいにデビューして、1年目でレギュラー3本くらいもってちょっとだけ天狗になっちゃって。その流れの中で結婚をしたんですよ、31歳で。結婚がものすごい、でかかった」
デビュー当時のマキタはフリーランス。その後、東京ダイナマイトのハチミツ二郎が社長を務めていたインディーズのお笑い事務所「トンパチ・プロ」に所属することとなる。だが、事務所自体が低迷するなかで、新宿のロフト・プランスワンで行われたイベントでは、マキタとハチミツ二郎が殴り合うという事件も発生。かつてマキタに「ネタのつもりがマジになっちゃった」と聞いたこともある事件だが、ごたごたのなか、2001年にトンパチ・プロは解散した。その同じ2001年にマキタは結婚をしている。
「根無し草のフリーになっちゃった。今までつるんでた友達もいなくなっちゃったし、昔やってたことをもう一度振り返ろうということでバンド結成したわけです。『マキタ学級』の前身ですね。30歳を過ぎてから結婚して子供もできているのにバンド結成するって、周りからも『ハア?』と言われて『頭おかしいのか』と。『なにもそんなときにやらなくてもいい』と言われたんだけど、でも、なんかやれると思っちゃったんだよね」
2005年にマキタにインタビューしたとき、彼は「お笑いとバンド、これは自分の中では別もの。お笑いはお笑いで売れて、バンドはバンドとして売れたい」と語っていた。実際、彼のバンド『マキタ学級』は、ライブ中のMCでは笑いはしっかり取るものの、楽曲もライブの演奏そのものはしっかりとしたロックバンド。そして1ファンとして言うが、本当にいい、かっこいいロックバンドだった。だが、残念ながら、売れなかった。
「自分にしかイメージがないから自分でやるしかなく、イベントも自分の関係がある芸人などを募っていくしかなかった。シリアスな自分のメッセージとかを伝えたいと思う反面、笑いも取る。そうなると、どうにも気持ちのバランスがとれない。まっすぐなラブソングとかは全然歌えないし、そんな気持ちも心もないし。今だったらラブソングもちゃんと演じきって歌いきれるだろうけど、その当時はそれができなかったから、分裂したことをやっていて、ますますお客さんには理解されてもらえなかったよね」
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『すべてのJ-POPはパクリである 現代ポップス論考』 「ヒット曲にはカノン進行が多い」を世に知らしめた名著が文庫化! |
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