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グラフィティの著作権ってどうなってるの? ゲーム『荒野行動』は「著作者人格権」を侵害しているのか<グラフィティの諸問題を巡る現役ライター・VERYONEとの対話>第3回

そもそもヴェリーさんは「ストリートの論理」で生きている

 まず、しっかりと強調しておかなければならないが、ヴェリーさんは基本的にはストリートの人だ。彼から聞く限り、ストリートのグラフィティの世界では、書いたグラフィティが消されたり、「オーバー」といって別のグラフィティ・ライターが「作品」の上に別のグラフィティを書いたりすることもよくある。その場合、「ビーフ」という抗争が起きたり、「これならOK」というようなライター同士の暗黙の了解があるようだが、これらの「ストリートの人たちの生きざま」は次回以降に触れていく予定だ。  何しろ「グラフィティが消されるのなんて、当たり前」と語り、(日本でもアメリカでも)グラフィティを文化財として保護しようなんてクソです、クソ」とまで語るほどストリートの論理で生きているヴェリーさんが、この『荒野行動』の件のみは「訴えたろうかな」と法律的な話まで持ち出して怒っているのは、やはり、「友人への追悼作品」を改変された、という点だろう。  改めて、この件について大阪でヴェリーさんに聞いてみた。 「この『荒野行動』の件についてはね、多分、雇われたデザイナーさんか誰かが僕のグラフィティをネット上で引っ張って、文句を言われへんようにいじって出しただけやと思うんですよ。ただ、やっぱり、僕のインドネシアの友人が亡くなって、その追悼で書いた作品。しかも、別にイリーガルで書いたわけじゃないですよ。ちゃんと場所に許可を取って書いたヤツで、彼の名前を書いた。それを反転したうえで、最後の文字を最初の文字と入れ替えて、なんかわけのわからない小細工までされたうえで出されて、ちょっと気分は悪かったですよね」  おそらく、ストリートに生きるヴェリーさんが、この件を実際に法的に訴えることはないだろう。だが、「著作者人格権」は侵害されているな、とこの話を聞きながら思った。そして、「私もうっかりやってしまうかもな」と思ったことも事実だ。自戒を込めて、以下のことを書いていきたい。  ここから少し専門的な話になるが、「著作権」のなかには「著作者人格権」というものがある。著作権は譲渡できるが、著作者人格権は譲渡されず、自分の「作品」に対して意に反する改変をしてはならない、という旨の規定がある(著作権法第20条①)。許諾を得れば問題ないが、今回の件に関してはもちろんヴェリーさんに許諾は得られておらず(というか普段は表に出てこないグラフィティ・ライターの許諾の取りようもないだろう、というのも事実だ)、この著作者人格権を侵害していることは間違いない。

著作権法第20条の1には「同一性の保持」が謳われている

 ただ、アートのみならず著作権を巡る解釈や裁判は煩雑だ。例えば、この記事中で使用している『荒野行動』の画面写真については、「ヴェリーさんの著作者人格権は侵害しているかもしれないが、お前らが勝手に使うのはいいのか?」という疑問があるだろう。これは「報道」としての適正利用と考え掲載しているが(著作権法第41条の「時事の事件の報道のための利用」)、「では、報道とはなんだ?」ということが争点になることも多々ある。  究極的にいうと、「何が著作権を侵害しているかは、最終的に司法の判断にゆだねられる」というのが身もふたもない現実だ。アートの世界で著作人格権について争った裁判では、マッド・アマノ氏のパロディ作品を巡る有名な「パロディ裁判」がある。詳しくはここでは書かないが、「引用か」なども争点となり10年以上かけて最高裁まで争われ、一旦はアマノ氏側に慰謝料50万円と謝罪広告の掲載の判決が下ったが、最終的には和解している。
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「あれ? グラフィティってもしかして著作権がないのかも!?」という「仮説」
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