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元グラドルが年商1億円社長に。引退、極貧、離婚…波乱の人生を語る

 アジア経済界で活躍している1987年生まれの若き女性実業家・高橋ゆづき。OneAsia株式会社CEOである彼女は、かつてNHK朝の連続テレビ小説『すずらん』や『キッズウォー3』に出演しグラビアアイドルとしても活動していた芸能人だった。そして、つい5年前まではその日暮らしの貧しい主婦をしていたのだという。 高橋ゆづき 先日、自著『笑いながら稼ぐ女』(株式会社かざひの文庫)を上梓した本人に、前回記事に続き、どん底生活から事業家として歩みだすまでをトコトン聞いてみた。

妊娠が発覚。幸せな家庭を夢見て引退するが…

 貧乏生活を経て「Yahoo!オークション」(現在は『ヤフオク!』)で商才の片鱗を見せはじめた高橋さん。だが当時、所属事務所であるイエローキャブは何億とも言われる負債を抱え、経営の立て直しを図っていた時期。その影響は彼女の身にも直面した。 「給料制から歩合制に変更を言い渡されたんです。しかも、先ごろ闇営業で話題になったお笑い事務所並みのあり得ない割合で。これじゃ生活できないと絶望的になりました。  でも、その時に自分はタレント活動をしたいのではなく、お金を稼ぎたいんだと気づいたんです」  芸能界で大金を稼げるのはごくわずか。さらに妊娠が発覚したこともあり芸能界からの引退を決意する。交際相手との幸せな結婚生活を夢見、地元に近い愛知に転居した高橋さんだが、そこで待っていたのは、さらなる貧困と家庭不和の生活だった。

ワンオペ育児に、パチンコ屋のパート

「第一子、第二子が立て続けに生まれましたが、夫は元ミュージシャンで、勤めることに慣れていないからか、給料も少なくて4人暮らすには生活費が全く足りないんです。私自身も世間知らずだったので、生活費以外にも、年金や税金にこんなにお金がかかるのかということを初めて知りました」  小さい子供もいるため、自由に働くことができない。その上、昔ながらの『小さい子供は母親が育てるべき』という考え方を持つ義母の反対もあり、保育園にも預けられない――まさに八方ふさがりの状態だった。 高橋ゆづき2「結婚したら全てが安泰だと思っていました。だけど全然生活は楽にならない。出産で太ってしまい自信をなくしていたこともあって、東京に住む同年代の友人のキラキラしたSNSを見ながら、毎日泣いていました」  その上、夫は育児に非協力的。今でいう『ワンオペ育児』状態だったという。あまりにも首が回らないため、義母の目を盗んで、スナックやパチンコ屋で働きはじめたが、それでも生活は楽にならなかった。寝る暇もなく、イライラし、夫婦喧嘩の毎日だったのだそう。

物販業に救われるが私生活はボロボロ

「そんなときに私を救ってくれたのが、これまた『ヤフオク!』だったんです。麻布十番時代にお世話になった女医さんから譲り受けた高級ペット服を販売したところ、結構売れて……」  売る楽しさを思い出した高橋さんは、ebay(米国のECサイト)やamazonにも個人出店をはじめた。すべて独学でノウハウを学び、今確実に需要があるものを徹底的にリサーチし、二番煎じでもいいから仕入れをして売る方法で徐々に確実に売り上げが出せるようになった。 「でも相変わらず夫との仲は最悪でした。離婚か心機一転のために上京するかの話し合いをし、その結果、離婚せずに再上京したのですが、夫から辛く当たられる日々は変わりませんでした」
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離婚、そして起業へ
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笑いながら稼ぐ女

グラドルから貿易アイドルへ! 波乱万丈のサクセス・ストーリー

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