更新日:2023年04月25日 00:15
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目黒虐待死/母親はなぜ父親に従ったのか? 暴力を受け続けた女性が体験した心理

「報復」が怖くて身動きできなくなる

 支配下に置かれた人間は、判断能力や思考能力が失われやすいですが、決していつも、24時間、冷静に物事を考えられないかというと、そうではありません。一時的にでも「逃げ出さねばならない」と強く感じ、現状を変えようとする意思を持つこともあります。実際に、優里被告は雄大被告に離婚を切り出したこともあったといいます。  さらに、結愛ちゃんが児童相談所に一時保護される際、優里被告は女性警察官に「自分も一緒に行きたい」と2回にわたって伝えていました。結愛ちゃんも、児童相談所の職員に「ママも叩かれている」と話しましたが、優里被告は自身が殴られているにもかかわらず「DVを受けている」といった自覚がなく、雄大被告に「結愛は嘘つきだ」「俺はお前にDVなんかしてないよな」と迫られたことで、保護されるにはいたりませんでした。  ストレスで過食嘔吐をくりかえすようになった優里被告は、結愛ちゃんが亡くなる半年ほど前に医療機関にかかり、担当医にSOSを出しています。担当医は問題の深刻さに気が付き、児童相談所にその旨を伝えましたが、このときも、優里被告が保護されることはありませんでした。 家族 優里被告が法廷で「私と結愛が報復されるのが怖くて、雄大被告のことを通報できなかった」と語ったように、支配者を一時的に遠ざけることはできたとしても、のちにひどい報復を受ける可能性を考えると、被支配者は容易に身動きが取れないのが現実問題です。「誰にも助けてもらえない」と考えていた優里被告にとって残されていた選択肢は「警察に雄大被告を逮捕してもらうこと」だったでしょう。  しかし、先に結愛ちゃんへの傷害容疑で書類送検されていた雄大被告が、2度も不起訴になって戻ってきたことから、「報復のリスクを負ってまで警察に通報したとしても、きっとまた不起訴になって、今よりもっとひどい目に遭わされる」と絶望感に打ちのめされたであろうことは、想像にかたくありません。

私の兄は、妊娠中の妻の腹を蹴った

「DVだと言われていますが、私自身はそういう認識がずっとなかった」という優里被告の言葉を聞いて、私は、過去の自分と、母のことを思い出しました。  私の実家では兄による家庭内暴力がひどく、私と母はいつも何かと理由をつけて殴られたり、蹴られたり、物を投げつけられたりしていました。はじめは、母は私を庇うために、私は母を庇うために、身を呈して暴力を制止することもありましたが、それが何年も続くと、私たちは抵抗する気力さえなくなって、ただただ兄の激しい怒りが過ぎ去るのを耐え忍ぶしかありませんでした。 DV そんな中、兄が突然結婚し、すでに妊娠しているという妻を家に住まわせるようになりました。2人はたびたび口論になり、兄と義姉の部屋からは頻繁に「ドン、ドン」という義姉が殴られている音が聞こえてきました。私や母が止めに入ると、兄は余計に激昂して私たちに殴りかかったり、見せしめのようにさらに義姉を殴るといった始末でした。    そんな日々が続いたある日、兄は私たちの目の前で、泣いている義姉の髪の毛を掴んで引き倒し、彼女の腹を蹴りました。自分の子を妊娠している妻の腹を、「ボコッ」という音が鳴るほどの強さで蹴ったのです。  その瞬間、私の頭の中で「ぷち」と音が鳴り、目の前が暗くなりました。そこからの記憶はあまりなくて、気が付いたら自分は座り込んでぐしゃぐしゃに泣いていて、母は兄を制止しようと掴みかかったのちに倒れ、義姉もうずくまったまま泣いていました。  私はこの数年後に家から逃げ出すまでの間、あれが異常な光景だとは思っていませんでした。母は兄のことを「あの子はちょっと人より成長が遅いだけだから」とかばっていましたし、私が母の目の前で泣いてしまったり、「辛い」と口に出せば「あんたは大してしんどくないでしょう、私の方がしんどいわよ」と否定するばかりでした。私たちにとってはそれが「日常」でしたし、自分たちの置かれた状況を正当化して、精神を保つほかなかったのです。
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夫婦が支配/被支配の関係になるとき
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1991年生まれ。フリーライター・コラムニスト。貧困や機能不全家族、ブラック企業、社会問題などについて、自らの体験をもとに取材・執筆。文春オンライン、東洋経済オンラインなどで連載中。著書に『年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声』 twitter:@bambi_yoshikawa

年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声-

この問題を「自己責任論」で片づけてもいいのか――!?

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