「日本の貧困層は甘えてる、アフリカの子供を見ろ」と言う人たちの間違い
最近、思わず考えさせられた言葉のひとつに「日本の貧困層は自己責任」というものがあります。
このような考えを持つ人に出会うことはしばしばありますが、私が驚いたのは、貧困について話すときに、軽蔑や嫌悪の念を込めて「自己責任論」を提唱する人が決して少数ではないことでした。
一方で、彼らは他国にいるストリートチルドレンや、アフリカで貧困に苦しむ子どもたちに対しては、非常に心を痛め、同情を寄せています。もちろん、日本と外国では環境や経済的事情、人々が受けられる医療レベルが大きく異なります。現在の日本では子どもが飢え死にすることはまれですから、日本の貧困問題は、最低限の生存条件を欠く「絶対的貧困」と同じ水準で比較できるものではありません。
ここで私が絶対的貧困の話をしたのは、日本の貧困問題について書いた記事を読んだ読者から「アフリカの子どもに比べれば恵まれてるんだから、日本の貧困層は贅沢を言うな。そもそも、努力すれば貧乏にならなくて済んだはずだ」といった意見もまた、多く寄せられるものであるためです。
日本の貧困層は、その国の生活水準と比較して困窮している状態である「相対的貧困(※)」にあたります。彼らに厳しい意見を述べる人たちの多くは、おそらく「経済格差は個人の努力のみで解決が可能」だと考えており、今現在自分が置かれている環境についても、「自分一人の努力で勝ち得たもの」だと認識しているのでしょう。
しかし、それは果たして本当なのでしょうか。
※相対的貧困:具体的には「世帯の所得が、その国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない状態」。日本の場合、年間可処分所得が2人世帯で172万5000円、3人世帯で211万5000円を下回ると貧困にあたる(平成28年 国民生活基礎調査に基づく)。
東京大学が2018年に調査した「家庭における家計支持者(多くが父親)の年収分布」によると、親の年収が950万円以上の東大生は、全体の62.7%でした。一方で、2017年に総務省が発表した「45~54歳男性の年収分布」では、年収が950万円を超える人は全体の12.2%にとどまるため、東大生の親の年収は一般的な比率に比べて、極めて高い傾向にあると分かります。(総務省「就業構造基本調査」2017より)
このデータは、経済的に豊かな家庭に生まれた子どもほど、「より高い水準の教育」を受けられる傾向にあることを裏付ける重要なファクトです。そして、採用においてとかく学歴重視な日本社会では、高い水準の教育を受けた者ほど、年収が高い企業に入社できるのは言わずもがなです。これは、世間に深く根付いた「富の連鎖」と呼ぶことができるでしょう。
「自分は努力したから成功した、貧乏な奴らは怠慢で自己責任」だと考える人たちの多くは、生まれながらにして有利な環境を手に入れていることに気が付いていません。
彼らは多くの場合「日本では、普通に生きていれば貧困になることはない」と思っていて、例えば非正規雇用で働いている人や、生活保護を受給している人たちが置かれた状況は自分には無縁のものであり、「他人事」でしかないようなのです。
アフリカの子どもたちに心を痛める人々
東大生のうち、親が年収950万円を超えている学生は62.7%
1991年生まれ。フリーライター・コラムニスト。貧困や機能不全家族、ブラック企業、社会問題などについて、自らの体験をもとに取材・執筆。文春オンライン、東洋経済オンラインなどで連載中。著書に『年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声』 twitter:@bambi_yoshikawa
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『年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声-』 この問題を「自己責任論」で片づけてもいいのか――!? |
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