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「日本の貧困層は甘えてる、アフリカの子供を見ろ」と言う人たちの間違い

教育にかけるお金が「贅沢」だとされている

 世の中には現状、大学へ通うためにアルバイトで家計を助けながら受験勉強をしたり、猛勉強の末に給付型奨学金を獲得したり、私のように「奨学金」という名の何百万円もの負債を抱える子どもたちがたくさんいます。そこまでしなければ「中流以上の家庭の子ども」と同じスタートラインに立てない時点で、高水準な教育を望む子どもたちにとって、「貧困」が大きな足かせになっているのは事実です。 「長期的な投資」をできるほどの余裕がない貧しい家庭にとっては、そもそも教育のためにかけるお金は「贅沢」であり、目先にかかる生活費に比べて優先度が低いものです。明日明後日必要なお金が手元にない状態では、大学受験のためにかかる予備校代、受験料、数十万円もの学費を用意することは、非常に困難でしょう。  しかし、この国では未だ学歴重視採用が行われている以上、子どもたちが「高水準な教育を受けたい」と願うのは当然のことです。同時に、そこに生じる経済・教育格差の問題は「身の丈に合わない教育」という一言で蓋をされ続けていいものではありません。これらは決して「自己責任」という言葉では片付けられない、根深い問題なのです。  絶対的貧困と相対的貧困は、決して横並びにして「どちらの方が深刻か」を比べたり、「どちらがよりかわいそうか」を考えるべきものではありません。海外のストリートチルドレンや飢餓に苦しむ人々の存在も、日本の貧困問題も、それぞれで解決に向けて取り組む必要がある問題です。  生まれついた家庭が貧しかったことは、本当に「自己」責任なのでしょうか。 <文/吉川ばんび>
1991年生まれ。フリーライター・コラムニスト。貧困や機能不全家族、ブラック企業、社会問題などについて、自らの体験をもとに取材・執筆。文春オンライン、東洋経済オンラインなどで連載中。著書に『年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声』 twitter:@bambi_yoshikawa

年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声-

この問題を「自己責任論」で片づけてもいいのか――!?
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