更新日:2023年05月15日 13:11
エンタメ

<純烈物語>『涙の銀座線』のPVを見せられた時、 後上翔太は痔のCMかと思ったが口には出せなかった<第24回>

デビューしてアルバイトができなくなり親のスネをかじって凌いだ

 むしろ、デビューしてアルバイトができなくなったあとから親のスネをかじって凌いだ。ここまで読んでお気づきかもしれないが、チャラチャラしてはいても根っこの部分で、後上はどんな場面でも自分を通している。強い意志のもとこだわってきたというよりも「のちに振り返るとそうなっていた」が、本人の感覚らしい。 「だから、グループの中でも最初にやりたいと思ったことと違っても、それでいいやと思えてしまう。“いいや”と思ったところで、自分の考えを通したことになるじゃないですか。だから後悔がないのだと思います。いかないことはできるんですよ。権利を一回だけは持っていて、それを行使するかどうかで来たということは、自分でこの道を選んでいるという考え方ですよね」  経済的に恵まれなかった時期を乗り越えられたのは、その環境を「いいや」と思えて続ける才能があったから。そしてその頃のある経験が、紅白初出場を決めた時に蘇ってきた。  新卒で社会人になった仲間たちから飲み会に誘われるも、金がなかった。でも、そうは言いたくないから、まったく忙しくなくても「今、忙しいんで……」と言って断る。  それを繰り返すうちに誘われなくなり、ゴールデンウィークを迎える頃には学生時代の友達が一人もいなくなった。ところが、スーパー銭湯アイドルとして露出するようになると、SNS上で徐々に戻ってきて、昨年は卒業以来最多となる旧友からの誘いがあった。 「それを手の平返しされたというかもしれないけど、よくよく考えたら俺もするよなって。集団の中のスタンダードから逸脱して、ゴーイング・マイウェイを始めた人間とは、あいつはヤバいとなって疎遠になるのが普通じゃないですか。  ちょっと前なら、友達が『俺はラグビーで食っていく!』と宣言したら何言ってんだ!?と思うけど、このワールドカップのタイミングでそいつがラグビーやっていたら、本人に連絡はしないまでも居酒屋の話題には絶対する。それを手の平返しと言うか言わないか。僕がその男だったら言わない気がします。紅白の価値ってなんですか?と言われたら、自分が生身で経験してきたこともそうだけど、こうした変化も価値だと思うんです」  手の平返しであろうとなかろうと、大学を中退した息子がわけのわからないことを始めて肩身の狭い思いをしたであろう両親も、親戚づきあいがしやすくなる。当事者以外の人間が紅白によって得られる付加価値とは、そういうものだ。  こうしたスタートから10年以上かけて大学中退のチャラついた男が築いたのは“末っ子”という居場所。小田井にとっての“年上”がそうであるように、それは組織とファンの狭間で自分がやるべきことを吟味した結果、導き出された役どころだった。 ※<おことわり>この記事は発売中の書籍『白と黒とハッピー~純烈物語』(扶桑社刊)に収録されております 撮影/ヤナガワゴーッ!
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。
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