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<純烈物語>苦楽を共にしたマネジャーを観客の前で労った令和2年初ステージ<第30回>

まずは3年連続紅白出場を旗印に

「今年も目標に向かっていく中で、いいこともよくないことも起こるかもしれない。でも、先人の皆さんはその中で頑張ってきた。僕らとしては、突き進められるだけ突き進むだけです。いろんな出来事が起こってもそれらは副産物であって、基本は健康センターとか応援してくださる方々のところへ僕らから出向いて会いにいく。その中で一年間歌えればいいと思っています。  まずは紅白3年連続出場。あとは何かいいことが起こるんじゃないかという希望を持って……今年も健康センターを中心にと言い切れるようになりますんで、よろしくお願いします。本日はありがとうございました!」 <凱旋ライブ終了後、メンバーはファンとの写真撮影に朝5時までかけて応じた。一人ひとりに声をかけ、本当は眠気で目をこすりたいはずなのに笑顔で写真に収まる。  リハーサルがあったため、この日の4人は朝からNHKホールにいた。ほぼ24時間起きている状態であり、本音を言えば一秒でも早く横になりたかったはず。  それでも、シンドいのを承知で面白いと思える方を優先してしまうのが酒井一圭という男。そして、他の3人のメンバーだけでなくスタッフ・関係者までもが、そんなリーダーを面白がれる集団なのだ。  撮影会の行列が進む中、大広間にはザコ寝するファンが一人、また一人…健康センターだから、そのまま朝まで眠れる。これもまた、純烈のコンサートならではの光景。  日本中の視線がカメラ越しに集まる大舞台から、畳部屋の大広間という振り幅を味わえるのが酒井にとっては楽しいし、それをファンも楽しんでいる。そこにはハッピーしかない。  他のメンバーは、約300人との撮影会を終えるとようやく自宅に戻れたが、酒井はそのまま控室にあてがわれた畳の部屋へ泊まった。紅白に出ても、凱旋ライブが終わっても4人の子どもを養う父親は、新年を迎えた我が家に戻れない。  そして元日の夕方にはネット生番組の出演が待っていた。健康センターの個室で怒濤の12月31日~1月1日を噛み締めた芸能人は、世の中で酒井一圭一人だろう>(『週刊SPA!』1月28日号掲載「純烈に学ぶ『オッサンの輝き方』」より)  撮影会が進む間、オーディエンスに話を聞いてまわった。年越しをゆっくりと健康センターで過ごしたいと大江戸温泉に来てみたら、夜中に大広間で何かの催し物があると知った。スタッフに聞くと「紅白に出た純烈のコンサートですよ」と言われ、四十代後半と見られる細身のマダムは驚いた。
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紅白出場歌手が出ると聞くや…
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(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

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