更新日:2023年05月23日 17:39
エンタメ

<純烈物語>「斬新すぎる……」デビュー前の純烈にレコード会社マネジャーが抱いた困惑<第33回>

デビュー前の純烈を見せられ「無理です」と即答

 純烈デビュー前、テレビの偉い人から「こういうグループがいるんだけど」と見せられたのが、デビューシングル『涙の銀座線』のミュージックビデオだった。  どう思う?と振られた新宮は、即答で「無理です」と答えた。それは歌唱力云々以前に、とんでもなく金がかかったビデオに映ったからだ。 「例の“空撮PV”だったんですけど、デビュー前でこんなのを撮るぐらいだからこのグループはすごくお金がかかるだろうと思ったんです。聞けばメンバーは元戦隊ヒーローや俳優だっていうし……それほどのタレントにかけられるお金はウチにないなと。CDを1、2万枚売ったぐらいじゃ元が取れない。  ウチは昔ながらの演歌・歌謡曲というのが色としてある会社なので、斬新な部分に対しての受け入れ態勢という面でも何もできないと思って「無理」と答えました。結果的に、ユニバーサルさんからデビューできてよかったと思います。最初からクラウンだったら、同じようにはできなかったでしょうから」  その後、ちゃんとデビューできた純烈を目にしてよかったと思っていたが、数年後に自社へ移籍してくる。NHK担当だった新宮はラジオ番組『きらめき歌謡ライブ』出演のさいにアテンドとしてついていった。  第一印象は「6人(当時のメンバー)がバラバラに行動するんだな」。初めてのNHKなのに、楽屋からスタジオへ移動するさい先頭の友井雄亮はバーッと先へ進み、一番あとから来る小田井涼平との間にかなりの距離ができた。  導線も知らずに入り組んだNHK社屋内を移動できるはずなどないのに、スイスイといってしまう友井。これはついていかなければ、とあとを追うと、今度は小田井を見失い迷子になる可能性が生じてしまう。  これは歌唱以前のオハナシだなと思ったが、それでも一度ちゃんとライブを見ておかなければと足を運ぶと、MCが面白かった。そこで初めて引っかかりができた。 「最初はその他大勢のうちの一組ぐらいにしか受け取っていなくて売れるとも思っていなかったんですけど、僕の中にこの先は単に歌うだけよりも、こういうところが面白いというわかりやすいセールスポイントがある人たちの方が売れるというのがあって。というのも当時、僕は三山ひろしも担当していまして。三山も唄が売れて歌謡界では知られてきたけど一般までは名前が届いておらず、それが紅白出場に関するネックになっていたんです。  そこで苦肉の策としてけん玉というのが出てきて(ライブの余興として始め、日本けん玉協会会員となり三段を取得。“けん玉演歌歌手”として注目された)。あれはワイドショーに出るための施策だったんです。それで民放にも出られるようになって紅白にも出場できた。純烈もサイドメニューの方が長けていて、こっちから先にいったら唄もついてくるかもしれないなと」
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厳しい評価「唄はヘタだし踊りも揃ってない」
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(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

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