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<純烈物語>酒井が「1・4新日本プロレス」の解説席から見た飯伏幸太はあのときと同じ目をしていた<第32回>

開場前の東京ドームで飯伏と再会した酒井(純烈公式ブログより)

<第32回>“イッテンヨン”ゲスト解説を務めた酒井。その時、飯伏幸太はあの頃と同じ目をしていた

 年末年始のハードスケジュールをこなした酒井一圭に、ご褒美が待っていた。新日本プロレス東京ドーム大会ゲスト解説の仕事である。  12月にその情報がリリースされた時点で、プロレスファンの間ではちょっとした話題となっていた。みんな、酒井が「マッスル」にかかわった一人であることを知っている。 「まだ小さい会場でしかやっていなかった頃のマッスルのリングに上がっていた酒井一圭が“イッテンヨン”の解説を務めるなんて、出世したなあ」  1972年にアントニオ猪木が設立した新日本プロレスは現存する日本の団体の中でもっとも老舗であるとともに、圧倒的なシェアを誇り業界のリーダーシップをとっている。毎年1月4日に東京ドームで「レッスルキングダム」を開催、これが国内における年間最大規模のプロレス興行となる。  今年はそれに加え、翌5日と2日間にわたり開催。初日のテレビ朝日番組『ワールドプロレスリング』に、酒井はゲストとして招かれたのだ。  酒井の経歴を知るプロレスファンは、その起用を聞いた時点でピンと来たと思われる。なぜなら、初日のメインイベントで新日本の最高峰IWGPヘビー級王座に、飯伏幸太が挑戦するからだ。  飯伏はかつて所属したDDTプロレスリング時代、その別ブランドだったマッスルにも出場。酒井とも一騎打ちで対戦している(2006年9月29日、北沢タウンホール&9月30日、新木場1stRING)。  いずれもハイキック一発で秒殺される形だったが、この時点で飯伏は“ゴールデン☆スター”の異名をほしいままにするDDTのエースであり、そんな存在と1対1で闘ったことがプロレスラー・酒井にとっての存在証明となった。  あれから13年……闘いの場を新日本に移し、そこでも実績を積み上げて初めてつかんだイッテンヨンのメイン。一方の酒井は紅白出場歌手としてステータスを上げることで放送席に呼ばれた。 「今のように、ビッグになる前の悩み苦しんでいた飯伏君を見ていますからね。こっちも純烈を始めてからうまくいかなくて、お互いに励まし合うじゃないけどメールで『見ているからね』『ありがとうございます』という交流は続いていたんです。  毎年、ドームには4人の子どものうち2人をローテーションで連れて見にいっていて、今年もそのつもりでチケットを押さえていたんだけど、そのあとにワールドプロレスリングのプロデューサーから話が来て、えーっ!? ってなった。今年のドームって、飯伏君がメインだよね!?って。不思議ですよね、こんなことがあるのかよって思いました」  ゴールデン☆スターと呼ばれる男も、けっして順風満帆にここまで来られたわけではなかった。ケガに泣かされた時期もあれば、DDTと新日本の2団体同時所属時には殺人的なスケジュールにも押し潰された。  それでも「日本の国民全員を、自分が好きなプロレスのファンにして、テレビの視聴率を100%にする」という壮大なる夢を描き、闘うことをやめなかった。昨年夏、新日本の最強戦士を決めるリーグ戦「G1クライマックス」を初制覇し、IWGPヘビー級王者であるオカダ・カズチカにドームで挑戦する権利を獲得。  その過程を見続けてきた酒井にとっては、時間と思いを共有していた頃も重ねて思い起こせば涙腺が震えて仕方がなくなるようなシチュエーション。オカダを倒せば東京ドームのメインにおける勝者となり、新日本の頂点へと昇り詰めることができるのだ。
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「どうしたの? こんなところで」「今日の大会の解説をやるんだよ」
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