純烈を見た時のショックはフォーク・クルセイダーズに近い
――佐藤さんはその時点で芸能界がどういうものかを見てきているんですよね。
佐藤:エンターテインメントはコマーシャリズムからは絶対に離れられないんですけど、そこにベッタリだとどんどん堕ちていってしまう。僕なんかは根っこがオタクだから、一人でコツコツやっている方が好きなんだけど、それだけじゃ、大人の社会では生きていけないわけじゃないですか。そうやって音楽業界でなんとか40年間も生きてきて、純烈を見た時のショックというのは、フォーク・クルセイダーズに近いなと思ったんです。
――『帰ってきたヨッパライ』で有名な。
佐藤:あの曲はコミックソングのように思われているけど、16ビートを取り入れて、テープレコーダーの早回しでエフェクトをかけたサウンドは、それまでにない試みで革命的だった。それを京都の学生だったアマチュアがやって、自分たちだけでレコードまで作った。それがラジオで取り上げられて売れてしまった。それは怖いものを知らない若さと、彼らのまわりに商売がらみの人がいなかったからできたんです。そういう人たちがいると、お金を儲けることが目的になってしまい、商業主義のくくりの中でしか活動できなくなる。
だから音楽業界の外側から出てきて、素人ならではの強みを発揮しているところが似ているんですね。最初に会った時は知らなかったんですけど、酒井さんは「マッスル」でプロレスラーとしても活動していた。そのマッスルもプロレス界におけるオルタナ的な存在なわけで、そういうものにかかわっていた体験も面白いなと思いました。
プロレスの場外乱闘を参考にした”純烈名物”「ラウンド」
――従来の枠にはとらわれないのが、純烈の基本姿勢と言っていいでしょうか。
佐藤:『白と黒とハッピー~純烈物語』を読むと、純烈が普通とは違うというのはわかると思うんです。ただ、それがどこに向かっているかまでは、芸能界や音楽業界を知らないとわかりにくいでしょう。それでも、純烈が何かを成そうとしているのは、読んでいる人には確実に伝わってくる。普通ではない空気は、鈴木さんがそのように書いているからだと思うんですけど、酒井さんは、自分の戦略や根幹にあるものを隠すことなく外に晒しているじゃないですか。それをオープンにして、みんなを引っ張っていこうとしている。そこをドキュメントにしていることが斬新だと思います。
つまり、この本が伝えようとしているのは裏側じゃないんです。裏と表がないところが純烈のよさであり、普通はそこをなかなかコントロールできない。じゃあなぜ純烈はできるのかというと、ある意味でアマチュアだからでしょう。フォークルにも通じる芸能界における異端児、素人ならではの強みだと思います。アマチュアは裏と表を切り替えようとはしないですよね。
――プロになればさまざまなしがらみや都合がついてきます。
佐藤:かつてのフォークの人たちはお金ではなくマインドで動いていたけど、セールスが大きくなって広告出稿とかでメディアと付き合いができると、そこに継続的な関係性が生じてくるから、そこそこ収まりがいい方向にいってしまう。鈴木さんもプロレスという外の業界の人だったから、オープンにできたというラッキーな部分があったと思うんですけど、ただラッキーなんじゃなくて、この人になら全部任そうという純烈の判断ですよね。純烈は一人ひとりの人間を出しているところが魅力であって、それをドキュメントで追っているのが、実に画期的なことだと思います。かつてニュージャーナリズムという言葉で、新しい表現方法が出てきた時代があったけど、偶然ながらもそれに近い試みですよね、この連載は。
――今まで、こういう手法でアーティストを追い続けることはなかったのですか。
佐藤:ここまでダイレクトに出すやり方は、音楽業界ではあり得ないです。純烈のメンバーと、鈴木さんという表現者同士が顔を合わせて、ぶつかり合っている。その間に人を介していない。あれは山本(浩光=純烈マネジャー)さんが偉いんでしょうね。「ここは出さないで!」というバイアスがかかるだけで、商売寄りに近づいておかしくってしまい、そこから堕落が始まる。でも、山本さんのやり方として、この連載に関してはきちんとそういうジャッジを下しているんだろうなと。ものすごいドキュメンタリーが始まったと思って見続けて、最後は大団円で終わると思っていたら、これが終わらないで続いてしまった(笑)。
|
『白と黒とハッピー~純烈物語』
純烈が成功した戦略と理由がここに
「夢は紅白!親孝行!」を掲げ、長い下積み時代を送ってきた純烈がいかに芸能界にしがみつき、闘ってきたのかを、リーダー酒井のプロレス活動時代から親交のあるライター鈴木健.txtが綴ったノンフィクション
|