更新日:2023年05月24日 15:19
エンタメ

志村けんさんコロナで亡くなる…ダチョウ倶楽部など、共演者の追悼コメント多数

長い弟子帰還~ドリフからバカ殿へ

【弟子入りから芸能界へ】 高校卒業前に、いかりや長介に弟子入りを志願したことから芸能界のキャリアをスタート。いかりやがリーダーを務めるドリフターズのメンバーである加藤茶の付き人を務めていた。 【コンビとしてデビュー】 付き人を始めてから4年後、1972年に井山淳とお笑いコンビ・「マックボンボン」を結成し、「志村健」の芸名で芸能界デビュー。 体を張った芸風が特徴で、コンビの名前を冠したテレビ番組『ぎんぎら!ボンボン!』に出演するなど、人気を獲得。 しかし、人気が低迷し相方は脱退。後任として福田正夫を迎え入れるも方向性の違いからコンビは自然消滅。 【地元の音頭でブレイク】 コンビ解散後は再びドリフターズの付き人に戻り、1974年には晴れて正式にメンバー入り。 国民的バラエティで番組であった「8時だョ!全員集合」では自身の地元である東村山の「東村山音頭」をリメイクしたものを披露し、これが大きな人気を集めた。 その後も加藤茶との「ヒゲダンス」、童謡『七つの子』の替え唄である「♪カラスの勝手でしょ〜」などでドリフターズの志村けんとして 、お茶の間から大きな支持を得た。 【ドリフの志村けんからバカ殿の志村けんへ】 「全員集合」の番組終了後も、自身をメイン出演者とした初の冠番組「志村けんの失礼しまぁーす!」がスタート。このころからドリフメンバー以外との共演も多く増えてきた。 「志村けんのだいじょうぶだぁ」や志村けんの「バカ殿様」は不定期ではあるが、1986年から現在まで続いてきたコメディ番組で、志村けんと聞けばバカ殿を思い出す人が多いのではないだろうか。  現在ではレギュラー番組として『天才!志村どうぶつ園』に園長先生として出演し、動物が好きで涙もろい人柄を見せてくれた。Twitter上では10代とみられるユーザからは「志村園長大好きでした」などの声が多く広がっている。  また、コメディアンとしての活動以外にも、1999年には映画『鉄道員(ぽっぽや)』に俳優として出演。今春には初の主演映画「キネマの神様」の撮影が控えていたが、新型コロナウイルスに感染したことで出演を辞退していた。  ドリフターズとして、バカ殿として、動物園の園長先生として、広い世代に愛されてきた志村けんは僕たちに様々なキャラクターを見せてくれた。冥福を心からお祈り申し上げる。 <取材・文/日刊SPA!編集部>
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