仕事

外出禁止のテレワークが個人の精神を蝕む日も近い/古谷経衡

テレワークはそもそも人間に合ってない

安倍首相

 不詳私は商業ライターとしてデビューしてから今年で10年になるが、その間誰に言われるまでもなくテレワーク(在宅勤務)を励行してきたプロ・テレワーカーである。モノを書くという作業は、編集者や出版当局と、最初の数次における人間関係さえ構築できれば、あとは電話とメール送受信ですべてが完結する。下手をすればそれすら不要で、メールのやり取りのみを以て完了することも十分に可能だ。  今次コロナ禍ですっかり労働者に定着したテレワークであるが、当然のことそれまで通勤網に依拠してオフィスを往復していた作業形態は自宅で代替可能になりつつある。通勤というストレスから解放された多くの労働者は、テレワークの何たる素晴らしさ、何たる便利さ、何たる自由さに狂喜した。  しかしそれは最初だけである。長期にわたるテレワークは、確実に人間の精神を蝕む。当初新鮮さを持って迎えられたテレワークが亢進すると、SNS上で「在宅鬱」などという言葉が乱舞し始めた。代り映えのしない自宅風景。公私の境界の不明瞭さ。そして日常と非日常の混濁である。  100万年前に誕生した原始人類は、狩猟採集を行い、小集団を形成して常に移動を続けてきた。それが定住に及んだのは農耕社会が構築されたほんの1万年前である。しかしその農耕社会ですらも、年中定住しているのではなく、農閑期には他所に移動して別の作業や職能に従事していた。  人間が本当の意味で個室に定着し、その室内で作業を完結するに至ったのは産業革命以降、資本家主導の大規模工場労働が出現したここ200年の出来事に過ぎない。あまつさえ通勤という概念が消失し得る職能の誕生は、通信インフラが整備されたここ十数年の出来事である。つまりテレワークは人間の本能と合致しない。  いくら通勤がストレスだと言っても、人間の脳は無意識に車窓の風景、車内の光景、乗客の雑談等を処理し、取捨選択している。それが脳への刺激となり、一見退屈に見える通勤は古代における人間本能の代替となった。自室という密閉空間で、この刺激がなくなると人間はどうなるのか。すなわち急速な感情の劣化や興味の喪失、認知機能の低下である。つまり鬱状態である。
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密閉空間に長時間いるのは危険
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(ふるやつねひら)1982年生まれ。作家/評論家/令和政治社会問題研究所所長。日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。20代後半からネトウヨ陣営の気鋭の論客として執筆活動を展開したが、やがて保守論壇のムラ体質や年功序列に愛想を尽かし、現在は距離を置いている。『愛国商売』(小学館)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり ヘイトスピーチはなぜ無くならないのか』(晶文社)など、著書多数

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