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懸賞生活のなすび「1年3か月の外出自粛」の果てに…土屋Pとの今の関係は?

一番、怖いのが「長期戦になってしまうこと」

 これだけの壮絶な日々を過ごしたおかげか、現在はほぼ外出していないが、自粛生活も辛さは感じないとのこと。 「たまたま地元の福島に仕事で帰省していたタイミングに、緊急事態宣言が発令されたので、東京には帰らず、1か月近く福島の実家に滞在しています。4月中は仕事や食料調達で数回外に出た以外は外出していません。娯楽も何もない実家での巣ごもり生活ですが、懸賞生活時代に比べれば、全然楽です。たかが1か月や2か月家に閉じこもっていたとしても、人は死にません。ネットや電話で人と話をしようと思えばできるし、食事もドッグフードではなく、人間の食事を食べられる。十分ありがたいです」  コロナの影響で、講演や番組出演などの仕事は激減してしまったが、それについてもなすび氏は達観している。 「たしかに収入は大きく減りましたが、最悪、食事を減らせば生きていける。人間は、1日1個のおにぎりしか食べられない生活がしばらく続いても、死なないで生きていけることが経験上わかっているので。ちなみに現在、巣ごもり中の僕の毎日の食事は、昼過ぎに食べる軽食と夕食だけ。だいたい1.5食分くらいです。大して体を動かしていないので、それで十分です」  5月6日以降の緊急事態宣言の延長もささやかれるなか、先が見えない不安を抱える人も多いはず。だが、それに対しては、「何も考えずに目の前のことに集中するのがポイント」だとなすび氏は続ける。 「懸賞生活のときは、『自分はいつ出られるのか』『来週も食べるものがあるのか』と毎日不安でした。でも、それを考えているとハガキも書けないし、夜も眠れなくなる。そうすると、余計に精神が追い込まれていくので、いつしか『何も考えないで過ごす』というワザを体得しました。  もちろん情報と向き合って身の置き方を考えることは大切ですが、考えすぎてもストレスになるだけ。一定時間、不安のスイッチを切って、余計なことを考えない時間も大切ですよ」  現在、Twitter上で、毎日のように外出自粛を呼びかけるなすび氏。そうした啓蒙活動を続ける最大の理由は、「巣ごもりは長期戦になればなるほど辛くなるから」だ。 「僕自身の経験を振り返ってみても、巣ごもり生活は長く続けても慣れることはできません。長引けば長引くほどに、心身ともに負担は積み重なっていく。懸賞生活のときも『だんだんと物が増えてきて終盤は少し楽になったのでは?』と外に出たあとに言われたことがあったのですが、そんなことはまったくない。どんどん辛さは増していました。  だからこそ、いま自分たちにできる最大限の対策である『外出自粛』を、より多くの人が実践することが、短期で終わらせるカギになります。いまより多くの人が我慢しないと、今後、さらなる地獄が待ち受けているかもしれません。自粛生活は長びくほどに心はダメージを受け続けます。長いのは私の顔だけで十分ですから、何とか短期間でこのコロナ禍を脱出するためにも、みなさん頑張りましょう」

挑戦終了後も払拭されない人間不信とトラウマ

 外出自粛の啓蒙のため、こうして当時を振り返るなすび氏だが、いまだに「地獄の日々」と生々しい記憶として脳裏に刻まれているという。懸賞生活が終わった後、まさに時の人として注目を集めるもその心中は非常に複雑だったと明かす。 「テレビを観た人たちから『本当におもしろかった』『また懸賞生活をやってください』と何度も言われましたが、懸賞生活中は本当に孤独だったし、いつ終わるともわからない希望のない日々で、『もう死ぬしかない』と思ったほど、ひどい日々だったんです」

なすび氏が挑戦した「電波少年的懸賞生活」は、多数のヒットを生み出した「進ぬ!電波少年」でも屈指の人気企画に

 現在も最大のトラウマとして残る出来事は、ゴールである懸賞の合計金額100万円を達成した後、“Tプロデューサー”土屋氏にお祝いと称して韓国で焼き肉を食べさせてもらったときのことだ。 「焼肉を食べて、『さあ、これから日本でまた普通の生活が送れるんだ』と喜んでいた矢先に、言われたのが『日本への飛行機のチケット代を懸賞で稼いで帰ってきて』との一言で……。そのとき『懸賞生活で僕がどれだけ辛い思いをしてきたか、番組スタッフたちは知っているはずなのに、また同じことをやらせるのか。人間はここまで残酷になれるのか』と愕然としました。  土屋さんからは後日、『韓国でもう一度懸賞生活をやってくれと言ったとき、なすびの全身の毛穴という毛穴から憎悪が噴出しているのが見えた』と言われました。でも、そのくらい精神的ダメージが大きかったんです」  その後、3か月間をかけて懸賞で旅費分の賞品を当て、韓国での懸賞生活を終了させたものの、この事件をきっかけになすび氏は深い人間不信に陥ったという。2008年に「再び懸賞生活をやらないか」と土屋氏から声をかけられたときも、即座に断った。 「懸賞生活は、お金をもらったからといってできるものではないと僕は思っています。仮に10億円積まれたとしても、もう二度とやりたくありません。何よりも、『またどこかに連れていかれるんじゃないか』との恐怖が募って、もう土屋さんに会うのが恐くて仕方なかったんです。その後も、土屋さんに数回会う機会があったのですが、会うたびに、汗と震えが止まらなくなってしまって、まともに話せないような状況でした」
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エベレスト挑戦とTプロデューサーとの邂逅
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