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懸賞生活のなすび「1年3か月の外出自粛」の果てに…土屋Pとの今の関係は?

エベレスト挑戦とTプロデューサーとの邂逅

 懸賞生活後は、俳優やタレントとして活動の場を広げていったなすび氏。だが、2011年3月に東日本大震災が起こり、以降、被災地支援のために奔走するようになる。 「震災時、いろんな有名人の方が多額の寄付をしたり、いろんな物資を届けたりしていたのに、僕は福島県出身なのに、大きなことは何もできなくて……。そのときの無力感が強くて、震災後もずっと事あるごとにボランティア活動などを続けていました。  そんなさなか、地元の方から『ボランティアしてくれるのはうれしいけれども、せっかくなんだからなすびさんにしかできない方法で支援してもらいたい』と言われたんです。そこで、本当に突拍子もないんですが、被災地支援のためにエベレスト登頂を目指すことにしたんです」

エベレスト挑戦以降は、山岳関係の仕事に携わることも増えたというなすび氏

 登山経験もないなすび氏が、なぜ、エベレストの登頂を目指したのか。その問いについては、「普通の人ではできないことをするしかないと思った」となすび氏は呟く。 「東北の被災地のなかでも、福島は原発の影響もあって、震災以降も風評被害に晒され続けていました。そのせいで、実際に震災でお亡くなりになった直接死の方よりも、自殺などの関連死で亡くなられた方のほうが多いんです。福島に住む多くの人が未来に希望を失うなか、これをどうにかしたいと思って……。  本当に脈絡もないし、突拍子もないことだとはわかっているのですが、僕みたいな登山の素人がゼロからエベレストを目指す姿を見てもらうことで、福島の人たちも『自分だってなんだってできるんだ』と思ってもらうことができるんじゃないかと思ったんです」  エベレスト登頂を公言し始めた当初は、「売名行為だ」「なんでなすびが登頂することが福島復興の応援になるんだ」などとネット上で叩かれることも多かったという。しかし、そんな逆風にさらされた際、手を差し伸べてくれたのが、かつては会うことすら恐怖を感じていた土屋氏だった。 「エベレストには入山するのに数百万円の入山料がかかるんですね。クラウドファンディングでその資金を集めていたのですが、そのことを知った土屋さんがネット番組で僕の応援をしてくれることになって。そのとき、久しぶりに話をした土屋さんからは『当時の自分は若くて分別がなかったのだと思う。本当になすびには申し訳ないことをした』などと謝罪の言葉をかけてもらいました」  これを契機に土屋氏との交流は復活。4回目の挑戦である’16年には、無事にエベレスト登頂を達成した。その後、2019年に日本を襲った大型台風で被災した地域を旅しながら応援するという土屋氏のプロジェクト「FUKKOツイート旅『#2020ここは行くべき14都県』」で、「福島はなすびと旅がしたいから一緒にいかないか」と土屋氏が声をかけてくれたという。辛い思い出ばかりの懸賞生活だが、得るものもあったとなすび氏は続ける。 「よく『懸賞生活とエベレスト登頂とどっちが辛かったですか?』といわれるのですが、いつも『もう一度懸賞生活をやるなら、100回エベレスト登頂をします』と答えています。そのくらい懸賞生活はきつかったし、やっぱりトラウマで、いまだにハガキを見ても震えを感じるほどです。  ただ、エベレストで登頂したときも、今回のコロナでの自粛生活も、『懸賞生活に比べればまだきつくない』と思えます。過去の苦労はそのときにはわからないものですね。いま、自粛生活で苦労されている方もいらっしゃると思いますが、必ずその苦労が後々役に立つことがきっと来ると思います」 なすび氏 1975年生まれ。福島県福島市出身。俳優。日本テレビ「電波少年的懸賞生活」にて日本と韓国を舞台に1998年~1999年の1年3か月間を懸賞のみで生活。現在はあったかふくしま観光交流大使を務めるほか、コロナショックで販路を失った福島の商品を扱う通販サイト「ふくしま!浜・中・会津の困った市」の応援団としても活動
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