更新日:2020年05月04日 20:24
エンタメ

懸賞生活のなすび「1年3か月の外出自粛」の果てに…土屋Pとの今の関係は?

「一年三ヶ月とは言いません。願わくは一ヶ月、でも流石に一般的に一ヶ月も無理としても、一週間や十日位、試しに家に閉じ籠もってみませんか? 私が出来たんだから、貴方にだって出来ます!」

福島県に滞在中のなすび氏とはSkypeでインタビューを実施

 こんなつぶやきをTwitter上で発信し、11万以上の「いいね」を獲得したタレントのなすび氏。なすび氏は1998年1月から1999年4月まで、大人気を博したバラエティ番組「進ぬ!電波少年」(日本テレビ系)内で放送されていた番組企画「電波少年的懸賞生活」に出演。「懸賞で当てたものの総額が100万円に到達するまで部屋を出られない」という制約の中、1年3か月の間、一人裸一貫でアパートの一室にこもり、懸賞で当てた商品のみで生きていくというチャレンジを見事、成し遂げた人物だ。

「死んだほうがマシ」と思い続けた懸賞生活

 懸賞生活中を「辛すぎて死んだほうがましだと何度も思った」と振り返るなすび氏だが、そんな極限状態を経験した人物が発信する「外出自粛」だからこそ、今回、多くの人々から共感を得ることができたのだろう。番組企画中は懸賞で当たったドッグフードで食いつないだり、洋服や布団もない状態で唯一部屋にあった座布団を枕に眠る姿も放映されていた。そんな過酷な日々を振り返って最も辛かったことを聞いてみると、なすび氏が開口一番、口にしたのは、「誰とも会えない孤独感。それが一番辛かったです」との言葉だった。 「懸賞生活中の1年3か月の間、僕はほとんど誰とも会話をしていません。たまにADさんが録画用のビデオテープの入れ替えのために部屋を訪れていましたが、僕が話しかけても、ほとんど口を聞いてくれないんですね。  後日知ったのですが、『電波少年』の“Tプロデューサー”こと、土屋敏男さんが、『なすびを孤独にしておいたほうがおもしろいから、話しかけられてもあいつと話すな』とスタッフさんたちに指示をしていたらしくて……。そのため、1年3か月の間、誰ともろくに会話ができず、狭いアパートの一室で、ひたすら1日200~300枚の懸賞ハガキを書き続ける日々でした」  懸賞生活が終わった後、たまたま読んだ本で、中世ヨーロッパでは死刑より重い罪として、「狭い部屋に閉じ込めて延々と単純作業をさせる」という刑罰があったことを知り、懸賞生活そのものだと愕然としたなすび氏。そんな孤独な状況下で、精神状態が追い詰められるなか、何より堪えたのが「先の見えない恐怖」だった。 「この企画のゴールは、『懸賞品の総額が100万円に達すること』でした。でも、懸賞が当たっても、僕自身はその商品の金額を調べることができません。だから、ゴールまであとどのくらいハガキを書けばいいのかがわからないのは、心理的にはかなり負担でした。さらに僕は食料も懸賞で調達していたので、食べ物が当たらなければ死んでしまう。そんな飢えとの恐怖との闘いでもありました。  何度もやめたいと思ったものの、僕はかなり頑固な人間なので、一度決めたことは最後までやり抜こうという意志だけで、なんとか耐え凌いでいました」  そんな極限状態にいたなすび氏の心を支えていたのは、懸賞が当たった際の喜びだ。 「後日、テレビを観ていた人から『なすびさんは懸賞が当たるたびに“喜びの舞”を踊ってましたよね』と言われて、『なんのことだろう?』と思っていたんです。あれはスタッフの方が当選するたびに僕が喜んで、体を動かしているのを、テロップを付けて『喜びの舞』とおもしろくしてくれただけで、僕自身は舞を踊っているつもりは全然ありませんでした。  太古の昔、人々が狩りで獲物を捕まえたときに収穫の舞を踊っていたといいますが、うれしいときに体を動かすのが、人間の本能なのかもしれません。懸賞生活中は、感情表現は最大のストレス解消法でした」
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一番、怖いのが「長期戦になってしまうこと」
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