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6月19日、異例のプロ野球開幕。注目の怪物ルーキ―佐々木朗希は冷静だった

“怪物”へのターニングポイントはボールの変更だった

佐々木朗希投手

佐々木朗希投手

 141km/h。“令和の怪物”と呼ばれる千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手が最初に確認をしたスピードガンの球速だ。中学校3年生の時、岩手県八幡平市にある球場のビジョンに映された。 「気持ちよかったですよ。自分では135km/hぐらいは出ているかなあと思っていたら、もっと出ていた」  後に160km/hを越える剛速球を代名詞にする若者は、初めて目にした自身のスピードと、その時、脳裏によぎった想いをハッキリと覚えていた。  地元では、速い球を投げる選手として多少は名の知れた存在だった。ただ、決して注目を浴びるほどではなかった。小学校の時には「ショボすぎてピッチャーは嫌だった」と言う。身体が大きいこともあり、一塁を守ることも多かった。 「ボク以外のピッチャーの方が速い球を投げていた。なによりもみんなボクよりコントロールが良かった」 佐々木朗希投手3 ターニングポイントはボールの変更だった。硬式球に近いボールとして開発されたKボールを使用した時に、今までにない感覚を感じた。そして高校で硬式球を握ると、さらなるフィット感を覚えた。  高校1年生の夏の岩手県大会。盛岡北戦でリリーフとして初登板をすると、147km/hをマーク。この時、初めてメディアに取り上げられることになる。 「あるスポーツ新聞の東北版で大きく紹介いただきました」と佐々木朗希。怪物が、まだ怪物ではなかった頃の話だ。この時は東北の逸材の一人にすぎなかった。しかし、ここから世間の注目度は一気に上がり、自身も思いもしなかったほどフィーバーは過熱する。  高校2年生の夏が終わるとその名は次なる注目選手として全国に広まり、日本代表候補にも名前が挙がる。高校3年生の夏のフィーバーは語るまでもない。時には自身は投げていない試合でも取材を申し込まれることもあった。こればかりは若者も困惑するしかなかった。

ストレートだけではなく変化球も投げられるところを見てほしい

佐々木朗希投手2 千葉ロッテマリーンズに入団してからも、その一挙手一投足をメディアは注視した。その中でも最大のキーワードはやはり「球速」。連日報道され、球速に関する質問を浴びる毎日。ただ、その現実から目をそらすことも逃げることもしない。球速に注目が集まる事を宿命とばかりに受け止め、否定はしない。 「確かにどうしても球速に目がいきがちですが、気にはしていません。スピードが出たらいいなあと自分も思います。ただ、自分はスライダーやフォークも投げる。ストレートだけではなく変化球も投げられるところを見てほしいし、評価される投手になりたい」  18歳の若者は落ち着いた口ぶりで自分を冷静に捉えている。プロ野球ファンの注目が集まる中、こうしてプロ1年目の歩みが始まった。ルーキーイヤーはまさかのスタート。新型コロナウイルス感染症予防の観点から、開幕は遅れて6月19日に開幕となった。  無観客の中での日々。異例の1年の中で、どのような歩みを見せるのだろうか。世間の注目も、メディアの球速報道も冷静に受け止め、前を見つめる。プレッシャーもどこ吹く風のように落ち着いて汗を流す背中は頼もしい限りだ。  背番号「17」がプロ野球界でどのような閃光を放つか。どのような足跡を残すか。野球ファンはじっくりと楽しんでほしいと思う。 【17の閃光~佐々木朗希物語~ 第1回】 文/梶原紀章(千葉ロッテマリーンズ広報)千葉ロッテマリーンズ広報室長。1976年生まれ、大阪府出身。関西大学を経て1999年産経新聞社に入社。サンケイスポーツ運動部では仰木オリックス、野村・星野・岡田阪神を担当。2005年に千葉ロッテマリーンズに入団、広報担当として2005年・2010年の日本一を経験。2006年にはWBC日本代表の広報業務にも従事した。文藝春秋社、朝日新聞社、千葉日報社など各媒体でコラムを連載中。趣味は競馬で、2011年に解散したメジロ牧場の血統を引く馬を追い続けている。著書に『千葉魂』(千葉日報社・現在6巻まで刊行)など。
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