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コロナ対策に成功した台湾、日本と明暗を分けた理由は?

新型コロナウイルスへの対応はまさに「戦い」

 今回の新型コロナウイルス問題で、しばしば「新型コロナウイルスへの対応を『戦争』と例えることに、政治家はもっと慎重であるべきだろう」(朝日新聞、5月6日社説)という意見が出された。確かに、戦争のように敵を憎む、敵を殺すというものではないという意味では、その意見は正しい。「生命や健康のため」という理由による異議を唱えにくいムードを、その他の政治目的に悪用することは防がねばならない。  しかし、パンデミックという問題においては、権力集中的な発想が求められることも事実なのである。実際、世界の指導者の多くが、今回の新型コロナウイルスの問題を「戦い」に例えた。台湾の政治家たちも「戦い」というフレーズを多用していた。  ただ、それは、必ずしも戦争のような愛国意識を煽るという目的からやっているのではない。医療は一人の命を救うところから発想するものだが、公衆衛生は集団の命をどう救うかから発想する学問である。一人の命を犠牲にしてでも100人の命を救うということも考えねばならず、そもそも拠って立つ場所が医療とは違う。  公衆衛生とは、人口学や経済学、統計学、健康管理学を駆使しながら立案するもので、それを受けて医療現場では医師や専門家がそれぞれの役割を果たすことになる。  今回のパンデミックへの対応が公衆衛生の「戦い」であることを示したのが台湾の取り組みであり、台湾のコロナ対策の成功の影にはそれがあったというのが、私の観察である。
圓山大飯店の「ZERO」

台湾内の感染者が36日ぶりにゼロとなった4月14日、台湾を代表するホテルである圓山大飯店では部屋のライトを使った「ZERO」のライトアップが行われた。(台湾総統府提供)

 出発点はやはりSARSであった。当時、SARS対策の最前線で衛生署長を務め、省庁間の連携や中央と地方の調整に苦労した李明亮医師は、2020年4月のインタビューでこう振り返っている。 「SARSの時に私個人として気がついたのは、(感染症対策で)公共衛生は臨床医療よりも重要であるということだ。公衆衛生は防疫の第一線で、臨床医療はその一部分である。患者の命は天命に委ねるものだが、公衆衛生は(その国が)ウイルスに陥落させられない最も重要な鍵を握っている」(『聯合報』)
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感染症の専門家ばかりだった日本の構造的問題
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なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか

①“攻め"の水際対策 ②ためらいなく対中遮断 ③“神対応"連発の防疫共同体  “民主主義"でコロナを撃退した「台湾モデル」の全記録!

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