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六代目山口組系幹部が明かす、分裂騒動の“最終章”

神戸山口組を結成するも今や崩壊寸前、主要メンバーの離脱が相次ぐ

 分裂を主導したのは、井上邦雄・神戸山口組組長と正木年男・正木組組長だと言われている。その背景について、ジャーナリストの伊藤博敏氏はこう語る。 「六代目山口組のトップに名古屋の弘道会出身である司忍組長が就任し、ナンバー2にも同じ弘道会から髙山清司若頭が就くと組織の引き締めが強化され、それまでのように好き勝手にできなくなった勢力が組を飛び出し、神戸山口組を結成しました。  彼らは髙山若頭の社会不在(恐喝罪などで’14年6月~’19年10月まで服役)に乗じて組を割りましたが、そこには『弘道会方式が嫌い。厳しすぎる髙山若頭が嫌だ』という共通軸しかなく、明確なビジョンや覚悟を共有できなかった。ここへきて組織が総崩れとなったのも、当然の帰結だったのかもしれません」
六代目山口組系幹部が明かす分裂騒動の“最終章”

髙山清司若頭

 冒頭で触れたとおり、神戸山口組が掲げた大義は「後進に道を譲ること」にあった。暴排条例による締め付けの強化でどこの組も台所事情は厳しい。若い組員たちが今後も生活できるよう、立ち上がったのが神戸山口組という組織のはずだった。  ところが、現実はそうならなかった。長年、暴力団取材にあたる実話誌記者はこう語る。 「分裂当初に抗争の陣頭指揮をとり、メディアにも盛んに露出していた織田絆誠(よしのり)・若頭代行(当時)という幹部がいましたが、彼は井上組長による金銭の吸い上げ、身内びいきに嫌気がさして組を飛び出し、別団体を結成してしまった。それまで井上組長の名前からとった組織を名乗っていたにもかかわらず、です。  暴力団にとってもっとも重要とされる盃を反故にした井上組長が同じ仕打ちを部下にされたとも言えますが、このような内紛が起きても井上組長のふるまいは変わらず、むしろ悪化していった。7月には井上組長の出身母体である山健組が神戸山口組から離脱するという、想定外の事態まで勃発したのです。  機を同じくして神戸山口組の発足から行動をともにした剣政和・若頭補佐が断指して組織を離れ、正木組長に至っては音信不通の末、姿を消したと聞いています。主要メンバーの離脱が止まらない状況で、組織は崩壊寸前です」  だが、話はこれで終わらない。山健組と並び、神戸山口組内で一大勢力を誇る二代目宅見組もまた、トップによる背信行為が露呈し、混迷を極めているというのだ。
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本部を売却し、海外逃亡? 入江組長が府警と接触した理由
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