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薬師丸ひろ子、かとうれいこを発掘。美少女写真家が語る「ダイヤの原石」の探し方

初めて撮ったヌードが雑誌の表紙に

 その後、日本に空前のグラビアブームが到来する。’74年に総合男性誌『GORO』(小学館)、’75年に『月刊プレイボーイ』(集英社)が創刊され、会田は『サンジャック』(鎌倉書房)でヌードグラビアを撮るようになる。 「それまで女の子の裸なんて一度も撮ったことがないから、どうやって撮っていいかもわからない……。その頃、ヘアメイクの雑誌の仕事をしていて、ハワイから来たモデルにヌードのモデルをお願いしたら思いがけずOKを貰えて、初めて撮ったヌードグラビアが『サンジャック』の表紙と巻頭グラビアになったんです」  美少女ヌードの写真家として、後の活躍は約束されていたかのような逸話だ。  会田は多作でも知られ、精力的に作品を制作する一方、ダイヤモンドの原石を見抜くタレント発掘でも、その才能を発揮。葉月里緒奈、安田美沙子、南條玲子、かとうれいこ、入江紗綾、小池唯……など、キラ星のような人材が会田によって世に出て、時代を代表する女優やタレントに成長していった。  近年、成熟した大人の演技で、ドラマや映画で活躍する女優・薬師丸ひろ子もその1人だ。彼女のデビューは中学1年生の’78年に遡るが、きっかけはひょんなことからだった。 「当時、『人間の証明』(’77年・東映)という映画の企画が進んでいて、関係者に頼まれて女優を何人か紹介したんです。『人間の証明』が大ヒットした後、今度は『野生の証明』(’78年・東映)を撮るから『高倉健の娘役のヒロインに、いいコいない?』って頼まれました。  たまたまある日、僕の事務所のマネージャーとスカウトマン、そして僕の3人で青山の喫茶店レオン(業界人や文化人が集まる伝説の店)で『誰か探さなきゃね』と話していたら、ガラス張りの店の前を通りがかったのが薬師丸ひろ子だった。当時、彼女は北青山の港区立青山中学の1年生だったので、地元を歩いていたんですね。ちょうどスカウトマンも一緒だったので、『声かけてこい!』って言ったのが、デビューのきっかけです」
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日本の「巨乳」ブームにも一役買っていた
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