パリの街を歩く、ルーヴル美術館とのコラボ作品
谷口ジローの作品は、イタリア、フランス、スペインなどヨーロッパでも評価が高い。その端緒を開いたのが1995年に刊行された『歩くひと』の仏訳版だった。谷口自身は同作について雑誌『ふらんす』2011年11月号掲載のエッセイで次のように述べている。
〈僕の作品はヨーロッパの方からしばしば「オヅ的」と言われるが、『歩くひと』はまさに「小津安二郎の映画のような雰囲気で」という担当編集者の要望を自分なりに解釈して描いたものだった。説明的な台詞を極力なくして出来る限り絵だけで表現するのを試みた作品でもある。日本よりもヨーロッパで評価が高い理由のひとつはそこにあるかもしれない〉
そのエッセイで〈いつの日か『歩くひと』のパリ編を描いてみたいと思っている〉とも綴った谷口は2014年、ルーヴル美術館とのコラボ作品
『千年の翼、百年の夢』を発表する。パリを訪れた日本人漫画家がルーヴル美術館で時空を超えた体験をする幻想的ストーリー。「『歩くひと』のパリ編」と言うにはかなり趣向が違うが、そこでも主人公はパリの街とルーヴル館内、ゴッホ終焉の地・オーヴェルなどを歩く。
『千年の翼、百年の夢』(ビッグコミックススペシャル) (c)パピエ
一方、世界の気鋭アーティストが筆を競ったルイ・ヴィトンのトラベルブックシリーズの一冊『VENICE』では、ヴェネツィアの街と家族3代のささやかなドラマを美しく描いてみせた。母の遺品から出てきた数葉の写真と絵はがきだけを手がかりに彼の地を訪れた男は、あてもなく街を歩き回る。わずかなモノローグのみで展開される寡黙にして雄弁な画面は、それこそ「『歩くひと』のヴェネツィア編」と呼ぶにふさわしい。
コロナ禍でも楽しめる「散歩」と「マンガ」という娯楽
そして、亡くなる前年の2016年には、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と彼が採集した怪談をモチーフにした「何処(いずこ)にか」を発表。主人公が明治の東京を好奇心たっぷりに歩く姿は、やはり『歩くひと』に重なる。
「何処にか」(ビッグコミックススペシャル『いざなうもの』より) (c)パピエ
谷口ジローの緻密な画面は、完成までに相当な時間がかかっているはずだ。しかし、だからこそ表現できる微妙なニュアンスがある。読むほうも簡単には読み飛ばせない。じっくり描かれたものをゆっくり読む。スピードと効率重視の社会が置き去りにしてきた豊かさが、そこにはある。コロナ禍で社会に急ブレーキがかかった今、あらためて散歩にスポットが当てられるのも、そのへんに共通する理由があるのではないか。
散歩と同様、マンガもコロナ禍において心置きなく楽しめる娯楽のひとつ。今回紹介したものはもちろん、谷口作品には数えきれないほど多くの名作がある。この機会にぜひ手に取って、1コマ1コマじっくり味わっていただきたい。
(取材・文/南信長)
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『歩くひと 完全版』
フランス文化勲章シュヴァリエ受章の漫画家・谷口ジロー氏が、世界に「発見」されることになった名作が、初の全エピソード収録&カラーページ再現の完全版として登場!
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