国境を丸腰で守る…自衛隊が抱えるジレンマに悩み退官。元自衛官の告白
その96 北朝鮮の工作船に対峙した巡視船「いなさ」退役
さる6月19日、過去に北朝鮮の武装工作船を追尾し銃撃戦を繰り広げた海上保安庁の巡視船「いなさ」が解役(引退)となりました。海上保安資料館横浜館には奄美大島沖で沈没した工作船も引き上げられて展示されています。
巡視船「いなさ」はその役目を終えましたが、今この瞬間も北朝鮮をはじめ中国やロシアなどのさまざまな国が日本の領海、領空に対して侵犯などの問題行動を繰り返しており、海上保安庁や自衛隊は絶え間ない緊張を強いられています。北朝鮮工作船事件も能登半島でも起こっていました。
先日、ダイヤモンドオンラインの取材を受け、「なぜ、自衛隊の問題に関心を抱いたのか?」について聞かれました。海上自衛官の友人から能登沖北朝鮮工作船事件の話を聞いたことが自衛隊問題を知るキッカケでした。自衛隊が想像以上にがんじがらめで、予算、兵站、人員、そのすべてが硬直化していました。自衛隊は内側から問題を改善できない理不尽な構造なのだと、この工作船の話で気づいたのです。
この連載もゴールの100回まであと少しになりましたので、私が彼から聞いた不審船対処の現場の話をぜひ、ここで紹介しておきたいと思います。
1999年3月、能登沖を航行する漁具を積んでいない船から不審な電波が傍受されました。船名はすでに廃船になったはずの「第一大西丸」。これを受け、海上自衛隊舞鶴基地から護衛艦「はるな」「みょうこう」「あぶくま」が緊急出港しました。
その段階では海上警備行動は発令されておらず、あくまでも調査のための出航とされていました。同時に、海上自衛隊八戸基地のP-3Cが上空から偵察行動を行いました。そこで撮影された写真からこの船が北朝鮮の工作船と判明。停船命令に従わない船に向け、海上保安庁の威嚇射撃が始まりました。
この段階で、私の友人のパイロット氏はクルーとともに召集されました。
「能登沖の不審船は北朝鮮の工作船ということがわかった。君たちに出動命令を出さなければならないが、今の法律上、君たちを丸腰で現場に送り出すしかできない。必ず帰ってこい。無事に帰ってくるのが君らの一番のミッションだ」と、当時の指揮官は目を真っ赤にして、涙ながらの訓示をしたと聞いています。
「相手は武装している可能性が高い。だから撃墜されて死ぬかもしれない」
彼は家族のことを思いましたが、別れを惜しむ時間も遺書を書く時間もない。公衆電話で1人3分以内の連絡が認められ、テレカを握りしめて列に並んだのだといいます。
「人は自分の命に危機が迫っていると感じると、アドレナリンが回るのか、妙にハイになって困った。なぜか、こんな不安な状況なのにみんな笑っているんだよ。あれは後にも先にもあのときだけの不思議な経験だった」とパイロット氏は語っています。
彼のP-3Cは、その後海上警備行動も発令されたため、対潜爆撃を行いどうにか無事に帰還することができました。
そのときのクルーたちは今でも時折集まって、当時の話をする会合を開いており、いわゆる「同期の桜」的な感覚で、生死を共にした絆で結ばれているのだそうです。この話だけ聞けば自己犠牲精神に溢れた美談で終わってしまうかもしれません。
しかし、ここで私が言いたいのは「国を守るのに自衛官の犠牲(命)を前提とする感覚はオカシイ」ということです。
自衛隊の問題を考える契機となった能登沖北朝鮮工作船事件
北朝鮮工作船事件でパイロットが経験したこと
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おがさわら・りえ◎国防ジャーナリスト、自衛官守る会代表。著書に『自衛隊員は基地のトイレットペーパーを「自腹」で買う』(扶桑社新書)。『月刊Hanada』『正論』『WiLL』『夕刊フジ』等にも寄稿する。雅号・静苑。@riekabot
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