更新日:2020年12月23日 17:22
スポーツ

盗塁王・屋鋪要が選んだ第二の人生は鉄道写真家「電車と言われるとムッとする」

屋鋪要

快足をほこり、高木豊氏、加藤博一氏と共に3人でスーパーカートリオと呼ばれた屋鋪要氏。現在は鉄道文化人として鉄道写真の撮影や雑誌への寄稿をする。また、子供たちに野球を教えるベースボールアカデミーで指導者としても活躍している

スーパーカートリオとして一世を風靡

 80年代、横浜DeNAの前身の大洋ホエールズでスーパーカートリオの一員として一世を風靡し、3年連続盗塁王、ゴールデングラブ賞5回、そして’94年巨人日本一に貢献した屋鋪要といえば、大洋ファンならずともプロ野球ファンならば懐かしい響きではなかろうか。  兵庫県三田学園からドラフト6位で大洋に入団、3年目から頭角を現し、6年目にレギュラー。16年間大洋に在籍した後、巨人へ移籍し、日本シリーズでのダイビングキャッチなど、巨人在籍はわずか2年間だったが記憶に残るプレーでファンから愛された。

「鉄道」にこだわる意味

 屋鋪要といえば俊足のイメージが強いのだが、実はバッティングにも定評があった。現役時代は3番を任されるほどのシュアなバッティングで、現役18年間で打率3割を2度クリア。通算打率.269を残した野球人である。そんな屋鋪要が引退後、SLカメラマンをしていると知れ渡ったのは、今から8年前。その間、鉄道趣味の月刊誌に5年間連載し、著書、写真集も上梓し、今や鉄道文化人としても幅広い活動をしている。   「はじめまして」  スリムなジーンズに渋めなチェック柄のシャツを着こなし、齢61にして現役モデルさながらのスラリとした体型にまず驚いた。そして、穏やかに挨拶する屋鋪の顔。そして無駄な贅肉など付いてなく、少し陽に焼けた褐色の肌に所々シワが刻まれ、優しさが滲み溢れる細みの瞳と、綺麗に整ったオールバック気味の髪型。そしてトレードマークの口髭は相変わらず健在であった。一見すると芸術家の佇まい。アスリートのイメージが強かっただけに虚を突かれたような気持ちになった。 「みなさん、電車を撮っていると言いますが、パンタグラフから電気を供給して動くのが電車で、蒸気機関車、いわゆる列車ですね。電車と言われるとムッとするんです」  静かな口調ではあるが、鉄道写真の話を聞こうとして、つい“電車”と言ってしまったことが琴線に触れてしまったらしい。恐縮しきりで、インタビューを仕切り直した。 「鉄道カメラマンと言われますけど、あくまでも趣味です。趣味がたまたま仕事になっていっただけで、本業は野球の指導です。小学校1年生から中学校3年生まで60名あまりを3か所に分けて野球教室を開催して教えています。チームを持っているわけではなく、いわゆる野球塾みたいなものですね。試合云々ではなく野球の技術を教えるところです」  鉄道カメラマンはあくまでも趣味という屋鋪だが、鉄道との付き合いは長い。鉄道に興味を持ったのは、小学校5年生の頃にさかのぼるという。兵庫県川西市で生まれ育ち、来る日も来る日も少年野球の厳しい練習に明け暮れていた。そんな中で、写真を撮る趣味があった父親に連れられて行ったSL撮影旅行が屋鋪少年にとって宝物のような出来事だったという。しかし、中学校から寮生活を送ることになり、18歳でプロ入りしてからの現役生活18年間は野球漬けの毎日。SLのことは完全に頭から抜け落ちていった。
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7年2か月かけて日本全国すべての「静態保存機」を撮り下ろした
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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