更新日:2020年12月16日 18:16
スポーツ

“奇跡を呼ぶ男”の短すぎた野球人生。プロ1年目は新人王、2年目のオフに暗転

森田幸一

現在は大阪で会社員として生活する森田幸一氏

 毎年、プロ野球選手という職業に就くことができるのは約80人ほどだと言われている。言うなれば彼らは履歴書の職業欄にチーム名を書き、「入団」と書くことができる権利を勝ち取った人々である。だが、その一方、来る者がいれば去る者もいるのが世の常。ユニフォームを脱ぎ、履歴書の職業欄には「退団」と記す人たちもいる。  元プロ野球選手だからといって、野球に関係した仕事でメシが食えるのは一握りだ。ほとんどは一般社会に出て、“フツーの人”と同じように仕事をし、生活をしていく。彼らは元プロ野球選手という肩書きを背負い、時にはその肩書きで仕事をし、また時にはその肩書きが重荷にもなる人生を歩んでいくのである。今回から始まった『職業 元プロ野球選手』ではそんな履歴書に「退団」と記した男たちのその後を追ったものである。

奇跡の男と呼ばれ、新人王を獲得するも……

 プロ野球選手の寿命は平均5、6年とも言われている。とはいえ、ルーキーイヤーに新人王を獲得し、翌年もチームへの貢献度はトップクラスだったにもかかわらず、致命傷以外によって5年間で首を切られることがあるのだろうか……。 「森田幸一」という名を覚えているのは、40代以上の中日ファンか、往年の野球マニアくらいなものであろう。’90年、住友金属から中日ドラフト5位の指名を受け入団。身長173センチの小柄ながら闘志を前面に出すタイプで、1年目からクローザーとして活躍し、新人王を獲得。2年目はチーム事情によりセットアッパーから先発までやったため数字を落としたが、チームの査定は前年度と同等の扱いだった。なのに、それから3年後に戦力外通告を受ける羽目になるとは……。森田に一体何があったのか 「開幕戦ですか。負けている場面からマウンドに上がったのであまり緊張をしていた思いはないですね。気持ちで負けないように心がけていました。このときの中日は打撃もいい、投手力もいい、自分がこの中に入ってやれるかなぁという不安は少しありました。当時監督の星野(仙一)さんは厳しい人ですが、試合を離れると温厚で優しい人でした」

新人ながら東京ドーム開幕戦での登板

 森田と言えば、なんといっても’91年の東京ドームでの開幕巨人戦が象徴される。試合は開幕戦独特の雰囲気の中、5対2の3点差ビハインドの7回裏に4番手としてルーキー森田が登板。7回を簡単に三者凡退に喫する。次の回に中日打線が奮起して3点取り同点に追いつく。そして8回裏、絶体絶命のピンチが訪れる。この8回裏が森田の運命を決めたといっても過言ではない。まず先頭打者原(現巨人監督)をうまく一塁ゴロに仕留めるのだが、落合からの連係トスを森田がエラーをし、出塁を許す。続く岡崎には四球。送りバントで一死二、三塁。満塁策で駒田を歩かせバッターは中尾孝義。  一死満塁の最大のピンチにも森田は平然とした面持ちでいた。一打出れば勝ち越し。中尾は中日時代からスライダー打ちが得意でさらに初球打ちにも定評がある。森田はこれを逆手にとった。まず、初球外角スライダーを投げ、打ち気にはやる中尾は思い切り空振り。これで1ストライク。勝負を分けた2球目、低めのボールになるスライダーで注文通りのピッチャーゴロゲッツーに仕留める。片手でグイッとこぶしを突き上げる森田。最終回、中日が1点をあげ、森田に勝利投手の権利が転がってくる。開幕戦で新人投手が勝利投手になったのは22年ぶり。この8回裏の一死満塁を抑えるシーンで森田が’91年シーズンの活躍は決まったといってよいほど象徴的なシーンだった。  それから4日後、またまた森田はどえらいことをやってのけた。おそらく、今後破られそうもない勲賞、ルーキー投手の初打席初ホームラン。41年ぶりの快挙である。 「先発ピッチャーはちゃんとバッティング練習しますけど、僕ら中継ぎ陣はバント練習だけですね。社会人時代もDH制なんで、まともにバッティング練習なんかしたことないです。高校時代だって6、7番だったし、バッティングが得意というほどではなかったです。打ったのはたまたま。ホームランを打たれた後に打ったというのしか憶えてないです」  広島戦での最終回、初打席初ホームランについては照れながら話す森田。度胸と運、そして実力を兼ね揃えた肝っ玉ルーキーがマウンドに上がると、神風が拭く。そんな森田を中日ファンは『奇跡を呼ぶ男』と呼ぶようになった。
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2年目のオフにトレードを志願したことで……
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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