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一撃2万円の「Pすしざんまい」でバイト前勝負。社長、連チャンってするの?

神田のパチンコ屋

 神田でアルバイトがあった。13時からだったが、11時に神田に着いた。昔は仕事の時間が近づくとできるだけギリギリの時間に出ては「時給の純度を上げる」なんて考えていたかもしれないが、そんなことも考えなくなった。どうせ家にいてもゲームをするかTwitterを見ているだけなので、金に替わる価値のある生活は、相対的に家や布団の垣根を超えてどこにでもあるようになってしまったからだ。 「神田を歩くのもいいなあ」  遅刻をしないメリットに加えて、余生の過ごし方まで考えていた。未来に目を閉じ、社会レースにも参加しなければ、本来の動物として生まれ得た自由に目を向けることができる。社会に属さない自意識は人に自由を与える。  1時間もすると排尿感に襲われてトイレを探していた。飲み屋が多い神田の昼は粋な商店街が活気に溢れているわけではなく、ボロボロの定食屋に昼休みを迎えたおじさんたちがぎゅう詰めになっている光景ばかりであまり面白くはなかった。  都会でトイレを借りれる場所はパチンコ屋しかない。「こりゃいつものパターンだな」と思い、ヘラヘラしながらパチンコ屋に入る。余談だが、神田のパチンコ屋にはあまり人がいない。隣に秋葉原があり、そこに巨大なパチ屋が何軒もあるせいだ。

自分の祖父母が最近始めた趣味

 店内に客は3人しかいなかった。海物語、海物語、北斗。みんな好々爺だ。時間を潰しに来たのではない。感情を動かしに来たのだ。大きな音と光でマンネリ化した老後の生活に少しでも波を起こそうとしている。世間は普段見向きもしないが、パチンコ屋の功績はこういった部分にも現れている。  僕の祖父母も最近、麻雀とパチンコを始めたそうだ。損得勘定で生きてきて大企業に入り、潤沢な資産で子供たちを育ててきたような真面目な人たちが、人生でもうやりたいことはやり切った後に見つけた趣味がギャンブルだった。彼らが80年近くかけてようやく見つけた趣味に、僕は二十歳の頃から触れている。ギャンブルで燻って社会復帰が遅れてしまうのではなく、あまりにも早すぎてしまったのだ。ギャンブルを、終の趣味となるものを見つけるのが早かった。  トイレを済ませ、パチンコ屋に筋を通すための一台を探す。  時間は12時を回っていた。残り1時間以内、バイト先までは歩いて3分。  ギャンブル依存症チェックシートにこんな項目がある。 「ギャンブルのために、約束をすっぽかした事がある」  周りにいるパチンカスに聞いてみてほしい。 「それは……無いな。バイトには行くもん」  こう答える人間が多くいる事だろう。なぜか。彼らはこういった隙間時間で打てる別のギャンブルを選択しているからだ。  ジャグラー、ハネモノ、一発台。一度当たれば5,000円近く出るが、基本的に連チャンはしないこれらの台は、上記のギャンブル依存症チェックシートの項目を一つ潰すのに一役買っている。本質的には約束の直前にギャンブルをしてしまうので当てはまって然るべきだが、こうして短時間で完結する台を用意することでまだギャンブル依存症としての重症度は高くないかもしれないと錯覚させてしまう。
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今年のギャンブルは調子がいい?
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