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はたち?にじゅっさい?『二十歳の原点』誰も知らない本当の読み方

読み方はあいまい、書き文字は重要

 高野悦子著『二十歳の原点』を詳しく研究し、調査を続けているN.Kitamotoさんのホームページ「高野悦子 『二十歳の原点』案内」によれば、そもそもの日記は「これが私の20才の原点である」という表記で横書きだったそうです。 「20才」と洋数字で横書きだと、「にじゅっさい」と読む可能性が高いですが、でも、断定はできません。  ホームページでは、『二十歳の原点』の新潮社の担当編集者にインタビューもしていて、担当編集者は「にじゅっさい」と読んでいたが、「はたち」という「俗称」が「堂々と通ってるんだよね。それで途中から“どっちでもいいや”って思ってるんだ。あんまりこだわらない」と発言されています。  この態度なら、よく分かります。どっちでもいいのです。でも、「にじゅっさい」とルビを振って、圧倒的多数が読んでいた「はたち」を過去にさかのぼって否定することは、とても問題なのではないかと僕は思っています。

「日本」をどう読むか?

 お前は、そんな小さなことをなんで問題にするのか? と思われるかもしれませんが、一番大きな問題は、「日本」をどう読むかです。  これを「にほん」と読むか「にっぽん」と読むか。  時々、「にっぽん」が正しいんだなんて断定しようとする人がいますが、歴史的に言えば、戦前、当時の文部省が「にっぽん」に決めようとしたという記録が残っています。  が、関係各所から激しい抗議が来て、途中でやめたのです。  アジア・太平洋戦争に突入する時期ですから、「大日本帝国万歳!」と叫ぶ時は、「にっぽん」と破裂音を含んだ方が勇ましいわけです。  でも、大人しく(?)「にほん」と呼びたい時もあります。そのあいまいさは「日本」という文字があることで問題にならないのです。というか、問題にする必要がないのです。  戦争中に、アメリカ軍が「どうしていつも日本軍は膨大な記録を残しておくのだ。口頭ですむような指令もすべて文書にしている。目的はなんだ?」と警戒したのも「読み方はあいまい。でも、書き文字は重要」という日本文化の特徴そのものなのです。この話、続くかもです。
ドン・キホーテ 笑う! (ドン・キホーテのピアス19)

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