更新日:2021年06月04日 11:17
エンタメ

「常に己の身を律し続けた」東海林のり子の20年間のリポーター人生

「生まれ変わっても、リポーターになりたい」

東海林のり子5_2 さらに、東海林は現在のリポーターたちについても言及する。 「今のリポーターたちはかわいそうだと思いますよ。だって、現場に行くことができないんだもの。現場に行かずに、材料だけでしゃべっているでしょ。あれはかわいそうですよ。それに、今はいろいろ取材規制も多いし……」  個人情報保護法が制定され、プライバシー侵害に対する意識は依然と比べればはるかに高まっている。かつての取材方法は通用しない。それでも、テレビの可能性に期待する部分もある。 「テレビには、視聴者が期待するもの以上のもの、事件の本質に迫るもの、もっと先の先を見せてほしいという思いがあります。テレビにはそれができると思うから。今の状況下で、どこまで踏み込んでいいのか、どこまで報じるかというのはとても難しい問題だと思うけれど……」  かつて、「報道の自由」の美名の下に、行き過ぎた取材が問題になったこともある。センセーショナルで、過度に煽情的な報道スタイルが問題視されたこともある。その一方で、東海林にとっても印象深い「金属バット両親殺害事件」や「女子高生コンクリート殺人事件」など、相次ぐ少年犯罪のリポートを通じて、少年法改正議論を喚起する契機となったこともある。 「昔も今も、取材の難しさは変わらないと思います。個人的にはどこまでも踏み込んで取材したいという思いがありました。放送はできなくとも、私だけは見ておこう。そんな思いもありました。テレビでは穏やかな映像が流れているけれど、本当は視聴者のみなさんが想像する以上の凄惨なことが起こっていたんです。そう伝えたいときもありました。いつも迷いながら、現場に立っていました。取材するということは、とても難しいものです。どこまで伝えるのか、あるいはどこまで伝えないのか。そこはずっと悩むところではありますよね……」  柔らかい陽光が差し込む昼下がりのカフェに沈黙が流れる。最後に東海林に尋ねたのは「生まれ変わっても、リポーターになりますか?」という問いだった。質問を口にした瞬間、間髪入れずに東海林も口を開いた。 「やる!」  何の迷いも、衒いもない口調だった。 「私、この先、ワイドショーはなくなると思うの。だって今の番組は真剣じゃないから。これからはもっと真剣な番組が出てくると思うんです。この先、どんな番組が登場するのか? テレビはどうなっていくのか? それはやっぱり、現場で見てみたいという思いは強くありますね」  最後まで、「現場」にこだわる発言で、ロングインタビューは締めくくられた。86歳となった今でも「現場」に対する思いは変わらない。東海林のり子――、やはり「生涯一リポーター」である。 取材・文/長谷川晶一 撮影/渡辺秀之
1970年、東京都生まれ。出版社勤務を経てノンフィクションライターに。著書に『詰むや、詰まざるや〜森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)など多数
1
2
おすすめ記事