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元チームメイト・松井秀喜とメジャーで対決。岡島秀樹が回顧「松井さんと対戦するのはイヤでした」

―[サムライの言球]―
「アメリカに行くことなんて少しも考えていなかった」と言う岡島秀樹は、トレイ・ヒルマン、新庄剛志の勧めによって海を渡る覚悟を決めた。そして、渡米直後に新球「スプリットチェンジ」をマスターし、ついにメジャーのマウンドに立つ。初陣は開幕戦、大差がついて、気楽に投げられる場面である。しかし、そのデビュー戦で……。    5年間在籍したボストン・レッドソックスを皮切りにメジャー3球団を経験したアメリカでの日々に迫る――。

メジャー初登場、初球でホームランを打たれてしまう

サムライの言球

岡島秀樹氏

 ’07年、岡島秀樹は開幕戦、カンザスシティ・ロイヤルズ戦のマウンドに立っていた。いきなりのデビューは、同期入団の松坂大輔よりも早かった。打席には8番のジョン・バック。下位打線とはいえ、油断は禁物だ。当たっても長打にはならない外角低めを目がけて慎重に投じた。記念すべきメジャー第1球だった。 「確かに緊張はしていたけど、狙っていた通りのコースに投げることができました。それをいきなりですからね……」  バックの放った打球は右中間スタンドに飛び込んだ。初球をいきなり被弾したのだ。 「もちろんヘコみましたよ(苦笑)。油断したつもりはないけど、まさか初球からホームランはないだろう、と相手を甘く見ていたのかもしれないですね。8番バッターに外角低めを逆方向にホームランを打たれるんですから、日本での常識は通用しないことをすぐに悟りました」  屈辱的なデビューとなった。しかし、本人の言葉にあるように、デビュー早々に「日本での常識は通用しないのだ」と考えを改めることができたのは不幸中の幸いであった。 「あまりにも悔しかったので、その日の夜は寝られませんでした。ノートにホームベースの絵を描いて、どうすれば打ち取れるのか、いろいろボールの軌道を考えていました」  その成果もあり、開幕戦以降の岡島は結果を残した。中継ぎで登板し、19試合連続無失点を記録する。この年、レッドソックスのリリーフ防御率がリーグトップとなったのは、セットアッパーの岡島とクローザーのジョナサン・パペルボンの両輪が大活躍したからである。

メジャー初セーブを記録。チームメイトの信頼を勝ち取る

 パペルボンが休養した4月23日には、クローザー役を託され、メジャー初セーブを挙げた。相手は宿命のライバル、ニューヨーク・ヤンキースだ。 「それまでずっと投げていなかったスプリットチェンジもヤンキース戦で披露しました。初めて見るボールに相手も驚いたと思います。この初セーブをきっかけに、チームメイトたちの僕を見る目がガラリと変わった気がします」  それまでは軽くあいさつをする間柄だったものが、相手から声をかけられる機会が増えた。あるいは、覚えたばかりの日本語で話しかけられるようにもなった。岡島は自らの実力で、名門・レッドソックスの一員となったのである。 「キャプテンの(ジェイソン・)バリテックは何度も食事に誘ってくれたし、(デビッド・)オルティーズは同学年なので家族ぐるみのつき合いでした。そしてマニー(・ラミレス)は親日家でものすごくウエルカムな人柄でしたね」
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元同僚・松井秀喜との対決
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1970年、東京都生まれ。出版社勤務を経てノンフィクションライターに。著書に『詰むや、詰まざるや〜森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)など多数

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