更新日:2021年05月21日 21:00
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東海林のり子が語気を強めた「宮崎勤事件に振り回された平成の始め」

 昭和・平成を駆け抜けた「ワイドショー」はいまひとつの転換点を迎えている。ときに事件、事故、スキャンダルの現場に向かい、人々の喜怒哀楽を伝え、時代の節目に立ち会ってきたリポーターたちも、同時に新たなステージへと向かおうとしている。果たして芸能リポーターという仕事とは何だったのか? 令和のいま、当事者たちの証言をもとに紐解いていく――。 <東海林のり子・第3回>

昭和末〜平成の初め、「連続幼女誘拐殺人事件」に揺れていた頃

東海林のり子1 時代が「昭和」から、「平成」に変わる頃、世間を震撼させたのが「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」、世に言う「宮崎勤事件」だった。犯人の宮崎は4人の幼女を誘拐、殺害し、5人目の犯行に及んだ際に現行犯逮捕された。もちろん東海林のり子も、最初の女児誘拐時点から、連日連夜さまざまな現場に駆けつけてリポートを続けた。 「私ね、宮崎勤って、そうおかしい人間じゃないと思うの。警察の取り調べではきちんとしゃべっているのに、裁判所に入ると突拍子もないことを口にしたりする。生まれつき両手に障害を持っていたこと、溺愛してくれた祖父が亡くなって火葬場でその遺骨を食べてしまったこと、おびただしい数のビデオに囲まれていたこと……、そんなことばかりが注目されていたけど、彼は実は本当の異常者ではないと思っていました」  後に最高裁での焦点となったのが、彼が多重人格であるのかどうか、犯罪責任能力はあるのかどうかということだった。しかし、東海林は「そうおかしい人間じゃない」と考えていたという。一方、ワイドショーで毎日のようにこの事件が報道されていた頃、「ある騒動」が起こった。その当事者となったのが東海林だった。

誘拐事件の逆探知を経験

「この頃、犯人と名乗る人物からフジテレビに電話が入りました。“女の子はオレが連れている。東海林のり子に引き渡したい”って知らせを受けて、急いでフジテレビに駆けつけると、すでに逆探知装置が準備されていて、警視庁捜査一課特殊班の刑事さんたちが待っていました。物々しい雰囲気なんだけど、みんな白いワイシャツを着ていて、ものすごくイケメンぞろいでビックリしたことをよく覚えてる(笑)」  捜査一課の精鋭たちは、「東海林さんの代わりに婦人警官にやり取りをさせる」と提案する。しかし、東海林はこの申し出をキッパリと断る。「テレビを通じて、犯人は私の声を知っています。別人だと気づかれるはずです」と伝えたのだ。犯人の意図、目的はわからない。どんな結果が待ち受けているのかもわからない。それでも、犯人が自分を指名している以上、最後までその責任はまっとうすべきだと考えたのだ。  捜査一課の刑事たちが見守る中で、ひたすら電話が鳴るのを待った。ピンと張りつめた緊張状態が続く。誰もが固唾をのんで見守っている中、再び電話のベルが鳴った。東海林が当時を振り返る。 「電話に出ると、『東京駅の中央口に身代金を持って、東海林さん一人で来い』と、犯人に言われました。すると、刑事さんから『行くと言え』というメモが差し出されました。でも私は、『私には主人も子どもいます。そんな簡単には行けません』って言っちゃったの。すぐに刑事さんから、『行くと言え!』って、怒られちゃいました(笑)」
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宮崎勤の愉快犯に対する静かな怒り
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1970年、東京都生まれ。出版社勤務を経てノンフィクションライターに。著書に『詰むや、詰まざるや〜森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)など多数

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