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ネット切断、ATMは停止…ミャンマー人を突然襲った「国軍からの死刑宣告」

はじめて参加した選挙の結果が拒否されたことへの怒り

ミャンマー

2021年2月22日の「22222」デモにはミャンマー全土で数百万人が参加した

 ミャンマー人の女子学生は続ける。 「私たちの世代は軍事政権下と、民主政権の両方で学校教育を受けてきました。軍事政権下の学校では国軍の方針に従った内容を、ただ先生の命令に従って暗記させられるだけでした。それが2016年に民主政権に移行してからは、自分たちの頭で考えレポートを書く、何が正しいのかは自分で判断する、そういう教育に変わっていったんです」  そんなZ世代の多くが初めて投票に参加したのが、2020年11月の選挙だったという。 「この選挙は私たち世代が初めて参加する選挙でした。自分たちの暮らしはもちろんですが、ミャンマーという国の将来を考えた時に、自分たちの子供世代には自分が受けてきたような軍事政権時代の教育を受けさせたくない。そういう強い思いを持って投票し、その結果が民主派のNLDの圧勝だったのです。それをクーデターという独善的な手段で国軍に拒否されたことを私たちは断じて受け入れられず、現在も戦っているのです」

次々と対抗策を見つけ国内外に発信

 しかし制限が加えられる中で若者たちは次々と対抗策を見つけ、インターネットへのアクセスと抗議活動の情報と国軍による市民への弾圧を国内外に発信し続ける。  20代のミャンマー女性は国軍によるネット遮断への市民の対抗方法を教えてくれた。 「ネットが遮断された時に、多くの市民はVPNをダウンロードしてアクセスの遮断を突破しようとしました。ミャンマー国内のSIMカードではネットにアクセスできなくても、ミャンマーでも買えるタイのSIMカードを使ってネットに接続しました。場所によってはITに詳しい人が、急遽ローカルサーバーを立ち上げそれを皆が共有することもあります。  それでもネットへの接続が難しい場合には、携帯電話のSMSを使ってデモの情報を共有したり、デモの現場ではAir dropを使い、情報を共有して参加者の間で次々と情報を繫げていく、という方法も取られています」
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銃に花束で立ち向かう「フラワー・ストライキ」
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1960年神奈川県生まれ。ミャンマー及び日本でニュースメディアを経営するジャーナリスト。MYANMAR JAPON CO., LTD. CEO、MJIホールディングス代表取締役。学生時代に起業、その後米国永住権取得。ロサンゼルス、上海、ヤンゴンに移住し現地法人を設立。2013年よりミャンマーに在住。月刊日本語情報誌「MYANMAR JAPON(MJビジネス)」、英語・ミャンマー語情報誌「MJ+plus」を発行、ミャンマーニュース専門サイト「MYANMAR JAPONオンライン」を運営、3メディアの統括編集長も務める。日本ブランドの展示・販売プロジェクト「The JAPAN BRAND」、TVショッピング「TV SHOP」を企画運営。UMFCCI(ミャンマー商工会議所連盟)、JCCM(ミャンマー日本商工会議所)、ヤンゴンロータリークラブに所属。(一社)日本ミャンマー友好協会副会長、(公社)日本ニュービジネス協議会連合会特別委員。東京ニュービジネス協議会国際アントレプレナー賞受賞。
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ミャンマー危機 選択を迫られる日本

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