銃に花束で立ち向かう「フラワー・ストライキ」
4月2日のフラワー・ストライキでは犠牲者を悼み各地に花が飾られた
2月6日に街頭でのデモが始まってから、ヤンゴンやマンダレーなどの大都市で連日続くデモの情報が、こうして地方にも伝わり、2月22日の全国で数百万人が参加した「22222」ストライキへと発展していく。
治安部隊の市民への発砲、弾圧がエスカレートしていく中でも、若者たちは平和的な抗議活動を考えだし抵抗の意思を示していく。3月24日には、ミャンマー全土で「サイレント・ストライキ」が実施された。
「人や車での外出は避け、すべての店も休業し、家にいよう」というスローガンを掲げ、大手スーパーも軒並み休業となり文字通り街から人影が消えた。デモ活動で亡くなった犠牲者たちのために黙禱し、軍事政権が望むすべての経済活動を拒否する「無言の抗議」が行なわれたのだ。
4月2日にヤンゴンで行なわれた「フラワー・ストライキ」では、市民によって国軍側の発砲などで犠牲者が出た場所やバス停一つひとつにバラなどの花がたむけられ、国軍の武力弾圧で倒れた犠牲者に哀悼の意を表し、軍事独裁政権への抵抗を続ける意思を示した。
多くの市民のツイッターには、「今日は英雄(犠牲者)たちのための日、彼らと心のなかで向き合う日」との言葉と、3本指のサインに花を組み合わせた写真が次々と投稿された。
4月4日には、イースター(復活祭)にちなみ、イースターエッグ(復活祭の卵)を抵抗のシンボルとして、卵に国軍打倒などのメッセージを書いて訴える「イースターエッグ運動」がミャンマー全土で展開された。
イースターエッグ運動では卵にさまざまなメッセージを書いて訴えた
ヒナが卵の中からもがきながら殻を破って生まれるように、ミャンマーにも真の民主主義が生まれることを祈念し行なわれたこの抗議活動では、若者たちは卵に「春の革命が成功するように」、「われわれは必ず勝つ」、「MAH(ミン・アウン・フライン国軍総司令官)打倒」などのメッセージ入りの卵を道路上に並べ、市民たちに配った。
そして、4月11日、Facebook 上では、こんなメッセージが次々とシェアされ、皆に呼びかけられた。
今夜9時から15分間、一瞬灯りを消してください!
フラッシュ・ストライキを成功させよう。
なるべく周りを暗くして、光を天まで届かせよう。
この日の夜、ミャンマーでは「フラッシュ・ストライキ」が実施され、暗闇になった15分間、全国で一斉にスマートフォンや懐中電灯の灯りが美しく輝いた。ほとんどのWi-Fiが遮断され、自宅にいても治安部隊に手当たり次第に逮捕される可能性が高まる苦しい状況でも、市民はアイデアを出しあい連帯し、抗議の意思を示し続けるのだった。
<取材・文/永杉豊>
1960年神奈川県生まれ。ミャンマー及び日本でニュースメディアを経営するジャーナリスト。MYANMAR JAPON CO., LTD. CEO、MJIホールディングス代表取締役。学生時代に起業、その後米国永住権取得。ロサンゼルス、上海、ヤンゴンに移住し現地法人を設立。2013年よりミャンマーに在住。月刊日本語情報誌「MYANMAR JAPON(MJビジネス)」、英語・ミャンマー語情報誌「MJ+plus」を発行、ミャンマーニュース専門サイト「MYANMAR JAPONオンライン」を運営、3メディアの統括編集長も務める。日本ブランドの展示・販売プロジェクト「The JAPAN BRAND」、TVショッピング「TV SHOP」を企画運営。UMFCCI(ミャンマー商工会議所連盟)、JCCM(ミャンマー日本商工会議所)、ヤンゴンロータリークラブに所属。(一社)日本ミャンマー友好協会副会長、(公社)日本ニュービジネス協議会連合会特別委員。東京ニュービジネス協議会国際アントレプレナー賞受賞。