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「最終学歴が吉本NSC」の底力。編集者、大道具、助産師…芸人じゃなくても活躍する人々

「わろてんか」で再会した教え子

「わろてんか」での出会いはこれだけでは終わりませんでした。  年内最終収録が終わって帰ろうとすると、セットを作っていらっしゃる大道具のスタッフの方が寄って来られまた「本多先生、お時間よろしいでしょうか?」と聞かれ、前の件があるので「まさか?」と思いながら話を聞くと「NSC17期生におりました。最初にお見かけして、いつごあいさつをしようかと思っているうちに遅くなりもうしわけありません。」と頭を下げられました。 「二人目!」と広報誌の担当者のことを伝えて、誰もいなくなったスタジオでしばらく話を聞きました。彼の場合は卒業後、漫才を続けていたけれど行き詰まり、吉本をやめて劇団に入り芝居に転向。  それもしっくりこないと悩んでいる時に、いつもきれいなセットを作ってくださる大道具さんの手際のいい、見事な仕事っぷりを見ているうちに、「俺も作ってみたい」と思うようになり、表に出る役者から裏方へ回ってみたところ、「これが自分にあってました。いいお芝居を見て頂くためにいいセットを作ります」と。  自信にあふれた表情で話してくれました。おそらく自分の居場所としてステップアップを続けてくれることでしょう。

助産師として活躍する元NSC卒業生

 もう一人は女性です。  キングコング、南海キャンディーズ・山ちゃん、ウーマンラッシュアワー・村本、ダイアン、スーパーマラドーナら、売れっ子を多く輩出したNSC大阪22期生に在籍した寺尾直美さん。  彼女と再会するきっかけになったのは、いじめで命を絶たないでほしい一心で児童・生徒向けに私自身のいじめられ体験、虐待体験などを書いた「笑おうね 生きようね」(小学館)でした。助産師をしている彼女が「子供向けの性教育」の本をAmazonで検索していたら、その本がヒットして「本多先生の本や!」と購入してくれ、吉本本社へ「NSCの本多講師宛て」に手紙を送ってくれたのです。 「カポエラ」という女性コンビを組んでいましたが、格闘技好きな私はブラジル発祥の武術である「カポエラ」という名前に惹かれ、彼女のことを覚えていました。  すぐに助産所のパンフを見て「わざわざ手紙をくれてありがとう!」とメールを返したことから、20年ぶりの交流が始まります。
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NSCの経験が助産師としても生きる
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漫才作家。'84年、オール阪神・巨人の台本執筆を皮切りに、漫才師や吉本新喜劇に多数の台本を提供。'90年吉本総合芸能学院(NSC)講師就任。担当した生徒は1万人を超える。著書に『吉本芸人に学ぶ生き残る力』(扶桑社刊)などがある

吉本芸人に学ぶ生き残る力

NSC講師として1万人以上の生徒を送り出した伝説の講師が教え子たちに教えた生き抜く術とは


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