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「最終学歴が吉本NSC」の底力。編集者、大道具、助産師…芸人じゃなくても活躍する人々

コンビ解散後に助産師を志す

なおみ助産院

NSC大阪22期生に在籍した寺尾直美さん。現在は助産師として妊婦さんや子供たちのケアに努めている

 卒業後に解散。芸人になる夢は破れて実家に戻り、病院の受付を3年やった後で、 「自分は人と関わることが好きだ」と看護師になることを目指して受験勉強を始め24歳で看護学校へ入学。  その年の9月にお母さんが卵巣ガンで亡くなられます。ショックを引きずりながら勉強をしていましたが産科病棟へ実習で行った際にお産に立ち合い、「亡くなった母親もこんな大変な思いをして私を産んでくれたんだ」ということ知った彼女はお母さんの助けをする仕事がしたいと看護師免許を取得してから助産学科に再入学して28歳で助産師になります。  そこから病棟勤務を経て、結婚後、32歳で母乳外来専門の助産院を開業。  さらにコロナ禍で孤立する母親や親子が増えていること危惧して、気軽に子育ての相談ができる「産後ケア」を始める決意をし、親子のデイサービスを今年の1月から開始。  この取り組みに賛同してくれた方から地域の大きな古民家を貸してもらい、建物の半分を助産院(母乳外来と産後ケア)、半分を親子でフラッと足を運べるカフェとして運営を始め、親子で自宅で2人っきりで過ごすのが不安なお母さんや、人との関わりを求めたり、大切な「自分のための時間」を過ごしに、美味しいコーヒーを求める方が来られているそうです。

NSC、芸人としての経験を生かす

 この彼女の縁で8月に兵庫県三木市の教育センターで教職員のみなさんを対象にリモートでしたが「いじめ」に関する講演会をさせてもらい、終了後、「彼女の城」のカフェにも寄らせてもらいました。  お母さんたちとの交流、地域で講演をする時に「人前で話をするのにあがらない。NSCに行って本当に良かった」と思うそうです。  お笑いは気持ちを癒してくれますが、お笑い以外のところでNSCが役に立っているいるのは嬉しいことです。 文/本多正識
漫才作家。'84年、オール阪神・巨人の台本執筆を皮切りに、漫才師や吉本新喜劇に多数の台本を提供。'90年吉本総合芸能学院(NSC)講師就任。担当した生徒は1万人を超える。著書に『吉本芸人に学ぶ生き残る力』(扶桑社刊)などがある

吉本芸人に学ぶ生き残る力

NSC講師として1万人以上の生徒を送り出した伝説の講師が教え子たちに教えた生き抜く術とは

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