仕事

新人記者の“同期”は他社のライバルたち。なれ合いとは違う特殊な関係とは

新人記者時代の失敗も30年たつと笑い話に

西日本新聞本社の入る建物(福岡・天神)

西日本新聞本社の入る建物(福岡・天神)

 去年11月、ある用件で福岡の西日本新聞本社を訪れた時、会社の人から尋ねられました。 「うちの社でご存じの者はおりますか?」 「そうですねえ。私の“同期”のH君というのが山口にいたんですが、もう30年以上も昔のことで、その間一度も会っていません」 「Hですか。いますよ、今この本社に。呼んできましょう」  こうして私は30年以上ぶりにH君と再会しました。会えばすぐに呼び捨てで呼び合う仲。Hが「行くか?」と言えば私が「行こう!」と応じる。飲み会がその場で決まり、会場が冒頭紹介した『信秀本店』でした。他にも参加者が増えて6人くらいの宴席に。  そこで繰り出される昔話はほとんど失敗談ばかりですが、その楽しいこと。失敗も30年たつと笑い話になります。もちろん、送別会でのX次長の話も出ました。すべてを笑って洗い流せる。時の流れはありがたく、“同期”っていいもんです。

記者同士がなれ合っているようで、競い合っていた

右が当時のNHK山口放送局(今は山口市役所別館)、左は今のNHK山口放送局

右が当時のNHK山口放送局(今は山口市役所別館)、左は今のNHK山口放送局

 ほかに“同期”の仲良しというと、毎日新聞のM君を思い出します。私とかなりタイプの違う知的で落ち着いた雰囲気でしたが、やはりなぜか気が合い、湯田でよく飲んでいました。彼はたしか東京本社の政治部長になったと思います。人望あるタイプだったので納得の人事です。 “同期”ではありませんが、朝日新聞で2年後輩だったT君は当時から切れ者で、よくやられ(抜かれ)ました。その後、東京本社の社会部長を経て報道担当の役員になったと風の便りで聞きました。栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し。彼との因果については『真実をつかむ』(角川新書)という著書に書いています。
筆者が新人時代に暮らした木造アパートはまだ残っている

筆者が新人時代に暮らした木造アパートはまだ残っている

 テレビ山口の“同期”M君は、当時の山口県副知事と同じ名字だったので、同じあだ名で呼ばれていました。彼ともよく飲み歩きました。「なんだ、結局毎晩“同期”と飲んでるやん」って、まさにその通りです。  マージャンもよくしました。彼と、時事の“同期”、山口放送、中国新聞、共同通信の先輩、同じNHKの後輩が、定番のマージャン仲間でした。記者同士がなれ合っているようでいて、もちろん陰でこそこそと“努力”し、何とか相手を出し抜いてやろうと競っていました。
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つくづく“同期”はありがたい
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