仕事

新人記者の“同期”は他社のライバルたち。なれ合いとは違う特殊な関係とは

―[取材は愛]―

地方支局に赴任した“同期”の新人記者仲間

中洲を上流からのぞむ

福岡市博多区・中洲を上流からのぞむ

 島にやってきました。島は島でも大都会・博多のど真ん中にある島。朝走るコースとしては気分転換になっていいものです。「なんだ、中洲じゃないか」ですって? 中洲だって川に囲まれた立派な「島」です。  博多駅前から中洲を走り抜け博多座へ。その横にある「信秀本店」は、博多っ子に人気の老舗焼き鳥屋。この店を教えてくれたのは、福岡に本社のあるブロック紙、西日本新聞のH君です。彼は私の新人時代の“同期”なのです。
信秀本店

博多川端にある老舗焼き鳥店・信秀本店

 1987年、というより昭和62年と言うほうが時代感が出ますね。“バブル”突入間もないこの年、NHKに記者として採用された私は、初任地・山口に赴任しました。そこには朝日、毎日、読売、共同、テレビ山口、山口新聞、西日本新聞に、同じ年に採用された記者がいました。時事は少し遅れて着任。山口放送と産経、中国新聞には同年採用はいなかった気がします。もしも漏れていたらごめんなさい。  こういう同じ年に採用され同じ地に赴任した記者仲間を“同期”と呼びます。同じ会社でもないのに“同期”って不思議な感じかもしれませんが、記者同士では当たり前でした。
先輩に鍛えられるNHK記者時代の筆者

先輩に鍛えられるNHK記者時代の筆者

 当時も(おそらく今も?)、NHKの新人記者はまず地方局に赴任し、警察取材(サツ回り)で記者の修業を始めます。新聞各社も共同通信も似たり寄ったりです。  社会人になりたての不安、慣れない警察官とのお付き合い(「警察のお世話になる」という言葉があるくらい、普通は縁のない世界です)、必要な話を聞きだせないもどかしさ、うまく書けない原稿、迫る締め切り、先輩やデスクの叱責。そんなあれやこれやのストレスは、社は違えどほぼすべての新人記者に共通です。  そして小さな地方支局では社内の同期は自分一人しかいないのが当たり前。となると「同病相憐れむ」で、他社の新人記者と傷をなめ合いながら仲良くなるのが自然な流れです。

西日本新聞のH記者と飲み歩いた日々

西日本新聞H記者と筆者

西日本新聞H記者と筆者

 私が特に仲良くなったのが西日本新聞のH君でした。なぜだろう? ウマが合ったとしか言いようがありません。山口の歓楽街、湯田温泉で(県庁所在地のど真ん中に温泉が湧いています)毎晩のように飲み歩いていたように思います。中でも「箱舟」というスナックが行きつけで、彼はいつもチェッカーズの『ギザギザハートの子守唄』を、私はサザンオールスターズを歌っていました。  ところが「箱舟」はママの事情で閉店。間際に彼と私は店に余っていたサントリーオールドのボトルを段ボール数箱分もらって職場に持ち帰り、いずれも先輩に召し上げられるという憂き目を見ました。  ちなみに「箱舟」のママの閉店理由は、実はNHKの大先輩の映像制作ディレクターと結婚するためだったと後で知り、二人でびっくりしました。間抜けな話ですがまったく気づいていませんでした。  H君は私より先に転勤することになり、湯田温泉で“同期”による送別会が開かれました。その時、彼は私にある“秘密”を明かしました。 「相澤、山口警察署のX次長(今の副署長)のとこによく夜回りに行ってただろ。俺も行ってたんだよ。なぜか気に入ってもらって、いろいろ話を聞かせてもらった。お前がよく来るという話もそこで聞いたんだ」  ……その場では笑ってごまかしましたが、絞め殺してやろうかと思うくらい悔しかった。X次長は何度通っても私は話を聞き出せなかった。彼は聞き出したうえ、私のことまで聞いていたわけです。みじめでした。それが理由というわけではありませんが、それっきりH君とは会っていませんでした。
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新人記者時代の失敗も30年たつと笑い話に
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