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ミャンマーで拘束された26歳日本人取材者は私たちの誇り/相澤冬樹

―[取材は愛]―
神戸市内の路上でくつろぐ久保田徹さん(撮影・相澤冬樹)

神戸市内の路上でくつろぐ久保田徹さん(撮影・相澤冬樹)

「カメラ越しの相手が涙を流すまで本当に相手のことがわからないって、どれだけ俺は鈍感で無知なんだろうな。こんなに溢れ出ているのに」  これは、ミャンマーで拘束されたドキュメンタリー映像作家、久保田徹さん(26歳)が、その1週間前にツイートした言葉だ。この時すでにミャンマーにいたから、現地で取材中の出来事だろう。相手を想う彼の優しさがよく表れている。  ミャンマーで日本人が拘束されたことは各マスコミで報じられているが、どういう人物なのか、なぜミャンマーにいたのかはほとんど触れられていない。私は久保田さんといささかのご縁があって知るところがあるので、ぜひ皆さんにお伝えしたい。

赤木雅子さんを密着取材

森友学園の小学校前で(撮影・赤木雅子さん)

森友学園の小学校前で(撮影・赤木雅子さん)

「相澤さんに会いたいっていう若者がいるんだけど~」  そんな風に知り合いの弁護士から久保田さんを紹介されたのは2年前の春。私は当時、財務省改ざん事件で亡くなった赤木俊夫さんと妻の雅子さんの記事を『週刊文春』に出した直後だった。  久保田さんは大学のサークルでドキュメンタリー制作や国際問題に関心を深め、在学中の2014年にミャンマーでロヒンギャ難民の取材を始めた。大学卒業後、サークルの仲間たちが大手マスコミに就職する中、彼は「できるだけ自由でいたい」と考え、あえて組織に所属せずにドキュメンタリー映像作家としての道を歩み始めた。  NHKやアルジャジーラなど、さまざまなメディアの作品作りに参加して経験を積み、不遇な状況で生きる人々にカメラを向けてきた。国内外の映画祭に出展した作品も多数にのぼる。  それまでロンドンを拠点に活動していたが、コロナ禍の影響で海外での動きが取りにくくなり、日本に戻って新たな取材対象を模索していたところだった。  ある時、彼は私に「赤木雅子さんを取材したい」と言ってきた。改ざん事件で国などを相手に裁判を起こしたばかりだから関心を持つのはもっともだが、その頃、雅子さんはマスコミの取材をすべて断っていた。私は彼に「そんなに簡単にはいかない」とかなりきつい口調で断った。
去年の3.11に被災地で取材する久保田徹さん(撮影・相澤冬樹)

去年の3.11に被災地で取材する久保田徹さん(撮影・相澤冬樹)

 だが彼はそんなことでめげたりはしない。結局、何度も会っているうちに、雅子さんの信頼を勝ち得た。去年の3月11日、東日本大震災から10年の日に被災地を訪れた雅子さんに密着して撮影。去年9月の自民党総裁選の投票日には渋谷のスクランブル交差点でニュース速報を見つめる雅子さんを取材した。その様子を2分弱にまとめた作品がYouTubeにアップされている。  久保田さんは若いのに落ち着きがあり、人の話をじっくり聞いてくれる。しかし相手に迎合せず、「それは違うと思います」と自分の意見をはっきり言ってくれるので、逆に信用できる。雅子さんにとっても「一番頼りになる相談相手」だそうだ。
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ミャンマーの人権弾圧を伝えるために現地へ
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