人は、ニーズを「満たそうと」してくれる存在に愛着が生まれる
ここでGADHAがよく使う例を紹介します。
赤ちゃんが泣いている時、養育者が最初のアクションでその原因を解決することはほとんどできません。お腹が減っているのか、オムツを変えてほしいのか、眠たくてぐずっているのか、大人にはわかりません。
わからないけれども、わからないからこそ、色々試してみて、なんとかしてそのニーズを満たそうとするのです。そうしてケアしようとするうちに、どういうふうに泣いている時はどういうニーズを持っているのかがわかってきます。
このプロセスの中で、赤ちゃんは「愛着」を獲得します。自分のニーズを誰かが満たしてくれる、それ以上に「満たそうと」してくれる。わからないからこそ、わかろうとしてくれる。これが人間の求める、最も根源的な「安心」なのです。生きていること、存在することの安心です。
ゆえに、人間存在の安心、存在すること自体への不安の解消は、
「わかりあえなさ」を前提とした上で、「わかろうとしてくれる存在」なしにはあり得ないのです。
そしてこの話を別の視点から見ると、
「常にケアされるだけの状態が許されるのは、赤ちゃんをはじめとしたケア能力のない存在だけ」ということも言えると思います。
加害者はパートナーと同じニーズを持っており、一方で自分はそのニーズを満たすための行動を取っていますので、ケア能力があるということは明らかです。しかも相手のニーズがあることをわかった上でケアしなかったのですから、これはケアの欠如と言っていいでしょう。
自分の存在を尊重されていない、軽んじられていると捉えられても全く不思議ではありません。加害者は
「相手を助けられる状況で、それに気づいた上で何もしなかった」のです。
これは人が他者と生きる上での基本的な責任、とりわけニーズを見た時にそれにケアによって応答するという責任を放棄していると言う点で、加害行為です。
そこに悪意があるかどうかは関係ありません。だからこそ、GADHAでは「悪意のない加害者」という言葉を使っています。
相手が傷ついたという「現実」から自分の加害性に気づけない人たち
そして最大の問題は、
相談者が「パートナーはこのようなことで傷つく人間なのだ」ということを、自分の変容のきっかけにできていない点です。
人は、悪意なく人を傷つけてしまうことがあります。だからこそ、「相手の傷つきから学ぶ」ことで、相手とより良い関係を築いていくきっかけにすることができます。
しかし加害者は「感情的になられても困る」と、相手の感じ方が過剰だという姿勢でこの出来事を捉えています。しかしパートナーの「傷つき」はすでにそこにあるのであって「感情的である」「過剰だ」と考える意味が、ーー少なくともこの2者が愛し合う関係を持ちたいのであればーーありません。
そして、これが最大の加害です。それは「人と生きていく上での最も根本的な責任」を放棄しているからです。
それこそが「相手のニーズを理解しようとする責任」「それに応じようとする責任」「うまくできなければそれができるような自分になるために学ぶ責任」です。GADHAではこれが愛することの責任であり、本質だと考えます。
「わかりあえなさ」を前にして「わかりあいたい」と思うこと、そして「わかりあえた、通じあえた」という体験を持とうとする姿勢そのものが愛することなのです。
愛することとは「この人と幸せに生きていくために、自分ができることをしたい、できるような人間になろう」と考え、相手のニーズを知ろうと、そのケアができるような人間になろうとすることそのものです。
そして決定的に重要なのが、その「愛し方」は学ぶことで身につけられるということです。僕たち加害者は、様々な要因によって他者と自分を幸福にする能力が未発達なままです。
その状態で人と関係を持ってしまったがゆえに、大切な人を傷つけてしまっているのです。しかし、それを発達させることはきっとできると僕は信じています。
変わりたいと願うのならば、行動を変えていくこともできるはずです。そのために必要なのは知識を持った仲間です。その仲間と共に「愛し方」を身につけるための場所としてGADHAを運営しています。
<被害者のためのDV・モラハラを見抜くポイント>
パートナーが何か用事を済ませるときに同時にできるような頼み事をしても「そんなことは自分でやって」「大したことじゃないでしょ」と頭ごなしに否定されることはありませんか?それはあなたをケアする意思がないということの表れですから、あなたが悲しんだり、怒ったりするのは自然なことです。
そのような状況にも関わらず「感情的に話されても困る」と言われることが重なって、自分のニーズを伝えるのが怖くなっていませんか?パートナーの傷つきをそのように否定する人は、あなたの心を壊しかねない加害をしています。
<加害者のためのDV・モラハラを自覚するポイント>
もしもあなたが「自分は普通のことしかしていないのに、最近パートナーがよく怒るようになった」と感じているとしたら、その「普通のこと」こそが加害である可能性があります。
パートナーが悲しんだり怒ったりしているのに「大したことじゃない」「感情的すぎる」と捉えていませんか?
大切な人が悲しんでいることをそのように軽んじるのは、その人の心に深い傷を付ける二重の加害です。パートナーの悲しみや傷つきを目にしたときに、「この人はどうしてこんなに怒っているのだろう」と目の前の事実について考えることがケアの始まりです。今からでも、いつからでも、愛することは始められます。
DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「
GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:
えいなか