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「ついキレてしまう」の嘘。「怒りをぶつけても良い相手だからキレている」が正しい

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怒りは二次的な感情。怒りの前に、何を思っているのか注意深く見極めることでキレることはなくなる

「ついキレてしまう」の嘘

 DV・モラハラ加害者が、愛と配慮のある関係を作る力を身につけるための学びのコミュニティ「GADHA」を主宰しているえいなかと申します。  僕自身もDV・モラハラ加害者です。そのせいでたくさんの人を傷つけ、仕事や家庭が破綻寸前になり、ようやく自身の加害行為、それを生み出す加害的な思考・価値観を自覚しました。現在は日々自分の言動を改善しながら、妻と関係を再構築させてもらっています。  この連載では、僕自身の経験や当事者会での気づきを共有していきます。職場や家庭でモラハラに苦しんでいる方々、無自覚に加害を行っている方々の参考になれば幸いです。  GADHAでは、毎月数百もの悩み相談と回答のメッセージがslack上で行き来します。たくさんの悩みがありますが、その1つが「キレてしまうことは気づいたらやってしまうことで、止めようがないのではないか?」というものです。  しかし、実際には多くの加害者が変容を進めるにつれて「キレる」ことはどんどん少なくなります。  更には「あんな小さなことでいちいちキレるような人間と関係を続けたいわけがないですよね」と振り返って、パートナーが自分から離れてしまった理由を理解する人がたくさんいます。

「キレる相手」を選ぶことのできる人たち

「キレてしまう」ことについては色んな考え方ができますが、まず一番最初に指摘する必要があるのは「いや、あなたはキレる相手を選んでますよね?」ということです。  嫌なことがあったり、不満があったり、相手の言うことに腹を立てた時、その状況において何も考えずにいきなりキレてどんな人にも大声を上げる人などいません。少なくとも、GADHAにきている人でそういう人はいません。 「キレていいかどうか」選んでキレているのがまずこの事実だけでわかります。そして、それゆえに「キレてしまうからどうしようもない」が間違った認識であることも即座に理解できます。 「お前が俺をキレさせた」という人がいますが、それは嘘です。「キレる」かどうかは、その本人が主体的に意思決定しています。「お前が俺をキレさせた」というのは、自分の行為の責任を相手に押し付ける卑怯な嘘です。  このような基本的前提に立った上で、人はどうやったらキレない人になれるのでしょうか。GADHAでは複数の考えを組み合わせて説明しますが、ここでは最もシンプルな理屈を述べたいと思います。  そのためには、そもそも怒りという感情について考える必要があります。GADHAでは「怒りは二次感情」だと考えます。怒りが生じる時、ほとんどの場合は傷ついています。傷つきや悲しみがあり、それに対して「このような扱いは不当である」と感じ、その不当だという感情を怒りと呼びましょう。  ここで、同じことが起きても場合によって怒りが湧いたり湧かなかったりする理由がわかります。傷つきや悲しみがあっても、「不当だ」と思わなければ怒りにはならないのです。しかし、傷つきや悲しみは残ります。  例えば上司や先輩などに叱責されることは傷つくことです。しかし上下関係を意識することの多い加害者は、上下という関係がゆえにそのような叱責は「正当だ」と考えます。上が下を責めること、間違いを指摘すること、そういったことは自然で当然のことです。  ですから悲しみや傷つきが、怒りには容易に転じません。これが、上司や逆らってはいけない人にはキレない理由です。
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自分の傷つきを自分で癒せない人がキレる
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