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元ちとせ・宇多田ヒカルの生歌に衝撃…圧倒的な“個性”の副作用

「生」で歌うことの弊害

 曲を歌いきれないということは、歌手だけの問題では終わりません。『CDTV』での元ちとせは、跡形もなく曲が崩壊し、残ったものは音楽とは無関係の“気迫”でした。コーチェラの宇多田も、体力と筋力の不足によって国民的大ヒットのエバーグリーンなみずみずしさが失われてしまいました。  曲はグダグダではないのに、肉声の不可抗力で全体が引きずられてしまうのですね。    それぐらい歌手の与える影響は大きいもの。リハーサルなどの状態によっては、決断を下す必要もあるのではないでしょうか。CD音源を超えるのはおろか、そこに近づけることもままならない状態なのだとしたら、“口パク”もオプションのひとつとして受け入れるべきなのかもしれません。  楽曲と歌手の尊厳を傷つけてまで生歌にする理由など、どこにもないのです。 文/石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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