しかし欧米ほど過激でまとまった声ではなくとも、確かに排除の論理が働いている。その心持ちに大きな違いはありません。
強硬に中止や降板を求めることも、おせっかいで“風くん、やめたほうがいいよ”ということも、どちらも問題解決の本質を追求するより、納得できないことに対する心のモヤモヤを晴らしているに過ぎないからです。
かつてアメリカのオバマ元大統領は、キャンセルカルチャーについてこう語っていました。
<「それは現状を変え得る行動とは呼べない。ただあなたが石を投げることしかしないなら、大した成果は得られないだろう。そんなラクな方法では無理なのだ」>(The Telegraph『How cancel culture came to define 2021- and the casualties it left behind』2021年12月22日配信より 筆者訳)
「ラクな方法」で訴えることの根底に、孤立した多くの個人がSNSで自由に感情を表現するようになった環境が影響しているのかもしれません。
<気分を害したという感想が、単なる個々人の主観から同意しかねる人たちに向けられる武器へと変貌したのである>(The Telegraph同記事より)
数のつぶやきが集積されることで、あたかもムーブメントであるかのように錯覚させられる事態が生まれた、というわけですね。
アフリカ系アメリカ人の活動家でフェミニストのロレッタ・ロスも、キャンセルカルチャーに疑問を呈する一人です。本当に危険な人物を正当に批判するのではなく、人畜無害な人物をやり込めてはせせこましく得点を稼ぐようなものだとして、そうした活動にいそしむ人たちは、“自称・政治的な潔白さの番人”になってしまうと批判的な見方を示しています。(Vox『What is cancel culture? Why we can’t stop fighting about cancel culture』2020年8月25日配信より 筆者により要約、翻訳)