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BTS・RMの“本音”に透ける韓国アイドルの過酷さは「競争社会の写し鏡」か

RMの言葉から伺える心情は…


 本来ならば、違法すれすれの行為はアイドルの所属事務所が警察と掛け合い規制すべきなのですが、Kポップはこの奇妙な熱狂を積極的にビジネスに取り込んできました。 “事務所ーアイドルーファン”の三角関係が構築され、私生活まで切り売りするように収益を得ていく構図になっているわけですね。そして、そんな理不尽を許してしまうことの根っこには、超競争社会の歪みがある。   <政治家であれ科学者であれアーティストであれ、他の人間より少しでも成果をあげた者は、事実上匿名の個人ではいられなくなる。ひとたび成功すればその人は公共圏に属することになるから、公私の境目は自然とあいまいになってしまう。一般大衆には、社会的、文化的に高い地位にある者たちの一挙手一投足を監視する権利がある。(中略)ファン、とりわけ韓国人のファンは、靴のサイズから恋愛事情に至るまで、アイドルについて何でも知っている状態を当たり前だと考えているのだ。>  競争に負けられないプレッシャーを抜け出した先には、勝利してしまったがゆえにプライバシーを失うという新たな苦難が待ち受けている。 “何者だかわからなくなってしまった”というRMの言葉からは、常に他者から追い落とされる恐怖を感じながら、同時に他者の求めに応じ続けなければならない過酷な精神状態がうかがえるのではないでしょうか。

まばゆさの裏にある「葛藤」

 こうしたKポップの現実を学びつつも、筆者はいくつかの楽曲を素晴らしいと感じます。古くは少女時代の「Gee」。最近では、シックなメロディとハーモニーが洒落ているTwiceの「Doughnut」もよかった。ワンコードとミニマルなビートでポップに押し切るBLACKPINKの「Ice Cream」もカッコいい。BTSがバンドを従えて歌ったTiny Desk Concertでの「Dynamite」では、音に反応する身体の強さに驚きました。  しかし、その種の秀逸さが精神を蝕む社会構造と表裏一体のものである可能性を考えると、どうしてもためらいを覚えてしまうのです。    彼らはまばゆい。その光は強い。けれども、強烈に輝き続けることだけが生き残る唯一の道だとしたら、それはあまりにも痛々しい。  RMは「成熟する時間を与えてくれない」とこぼしました。成熟とは、徐々に明かりを落としていくことを言うのだと思います。  ゆえに、彼の疲弊はKポップと韓国社会にとって本質的な問題提起となっているのです。 文/石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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